中野隆司
中野 隆司 なかの りゅうじ | |
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生年月日 | 1957年2月6日 |
出生地 | 大阪府柏原市 |
没年月日 | 2021年1月24日(63歳没) |
出身校 | 鳥取大学農学部 |
前職 | 教諭 |
所属政党 |
(民主党→) 大阪維新の会 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2013年(平成25年)3月11日 - 2017年(平成29年)3月10日 |
選挙区 | 柏原市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2007年(平成19年)4月30日 - 2012年(平成24年) |
中野 隆司(なかの りゅうじ、1957年〈昭和32年〉2月6日[1] - 2021年〈令和3年〉1月24日)は、日本の政治家、教諭。大阪府柏原市長(1期)、大阪府議会議員(2期)、大阪維新の会顧問などを務めた。
生涯
[編集]大阪府立富田林高等学校の講師を務めた後、1983年から2005年まで八尾市や柏原市の中学校で理科(年度によっては社会、英語等)の教諭を務めた[2]。
2007年の大阪府議会議員選挙に民主党公認で出馬し、初当選した[3]。2011年の府議選では大阪維新の会に乗り換え再選した[4]。
2012年、府議を辞職。翌2013年2月10日の柏原市長選挙に、大阪維新の会公認で出馬。元市議で清掃会社経営の女性[5]と、日本共産党推薦の市民団体役員を破り初当選した[6](投票率45.31%[7])。3月11日、市長に就任。
2015年9月、妻ではない女性との交際が週刊誌などで報道され、7月と8月にそれぞれ別の女性と大阪市内のホテルなどにいたことが判明[8]。これを受けて柏原市議会は同年9月14日、中野への問責決議案を全会一致で可決した[9]。
翌9月15日、中野は大阪維新の会の顧問を辞任。市民グループが11月24日、リコールの署名活動を始めたが、規定数に達しなかった(12月23日に断念[10])。
2017年2月12日の柏原市長選挙に出馬せず、引退した[11]。
市政
[編集]就任直後2013年8月、子育て環境の整備として入院費の助成(無償化)対象を中学3年生まで拡大(従来は小学6年生まで)。2014年に妊婦らへの風疹の予防接種も無料化し、以後も子供の医療費の無償化を進めた[2]。また、2015年には同市の児童・生徒約3600人からの「いじめ相談」を市長自ら電話で受付けるユニークな試みも行った[13]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、283頁。
- ^ a b 自治体維新 首長インタビュー 大阪府柏原市長 中野 隆司氏 - 日経グローカル「No.238」2014年2月17日
- ^ 大阪府議選 : 開票結果 : 統一地方選2007 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ 大阪府 議選:開票結果 : 統一地方選2011 : 地方選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ はまうら佳子ドットコム
- ^ 柏原市長に中野氏当選 - 産経新聞2013年(平成25年)2月10日
- ^ 柏原市長選挙(2013年2月10日投票)候補者一覧|政治・選挙プラットフォーム【政治山】
- ^ “柏原市長のリコール求め、市民ら署名活動 女性問題報道”. 朝日新聞. (2015年11月24日) 2016年12月5日閲覧。
- ^ “妻以外の女性と…柏原市長に議会が問責可決”. 日本テレビ. (2015年9月14日) 2016年12月5日閲覧。
- ^ “不倫疑惑市長のリコール断念、署名集まらず 大阪・柏原”. 朝日新聞. (2015年12月24日) 2016年12月5日閲覧。
- ^ “大阪維新の会推薦の冨宅氏初当選 自民推薦破る 大阪・柏原市長選”. 産経新聞. (2017年2月12日) 2018年2月5日閲覧。
- ^ 師匠から最期に教えて頂いた事 日本維新の会 岩谷良平オフィシャルブログ
- ^ 【関西の議論】いじめ相談、市長・教育長が…「トップダウン」評価の一方で「過剰介入」懸念も - 産経新聞2015年4月23日
公職 | ||
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先代 岡本泰明 |
大阪府柏原市長 2013年 - 2017年 |
次代 冨宅正浩 |