丸墓山古墳
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丸墓山古墳 | |
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墳丘(手前に石田堤) | |
所属 | 埼玉古墳群 |
所在地 | 埼玉県行田市埼玉 |
位置 | 北緯36度7分45.51秒 東経139度28分42.62秒 / 北緯36.1293083度 東経139.4785056度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径105m、高さ17.2m (円墳では全国2位) |
出土品 | 円筒埴輪、人物埴輪 |
築造時期 | 6世紀前半 |
史跡 | 国の特別史跡「埼玉古墳群」に包含 |
丸墓山古墳(まるはかやまこふん)は、埼玉県行田市埼玉にある古墳。形状は円墳。埼玉古墳群を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定されている(特別史跡「埼玉古墳群」のうち)。
日本最大規模の円墳であり、また埼玉古墳群の大型古墳で登ることができるのは、稲荷山古墳と丸墓山古墳のみである。
概要
[編集]直径105.0メートル、高さ17.2メートル[1]。
遺骸を納めた石室など埋葬施設の主体部は未調査だが、墳丘表面を覆っていた葺石や、円筒埴輪、人物埴輪などの埴輪類が出土しており、これらの出土遺物の型式から築造年代は6世紀の前半と考えられている。
1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけ墳頂部と墳丘東側を中心に整備が行われた。また、周濠の一部が復元されている。
歴史
[編集]→「忍城の戦い」も参照
1590年(天正18年)、小田原征伐に際して、忍城攻略の命を受けた石田三成が丸墓山古墳の頂上に陣を張った。三成は忍城を水攻めするため、丸墓山を含む半円形の石田堤を28 kmほど築いた。丸墓山から南にまっすぐ伸びている道路は、この堤の名残である。
『新編武蔵風土記稿』に麿墓山(まろはかやま)として記載がある[注釈 1]ほか、様々な書物に多くの伝説を残している。
風景
[編集]丸墓山古墳とその周辺は桜の名所として親しまれている。60年ほど前に地元の有志が植えた墳頂の桜の巨木は、2018年10月の台風24号の強風で五本ある内の一本が倒れ[3]、史跡保存の観点から後継樹の植樹は行なわれない方針である[4]。
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墳丘・周濠
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石田堤
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古墳脇にある石仏群。元々は墳頂に建てられていた[5]。
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さきたま火祭りの御神火下り
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 埼玉古墳群 - さきたま史跡の博物館
- ^ 新編武蔵風土記稿 埼玉村.
- ^ 坂井俊彦 (2018年10月19日). “埼玉)墳頂の桜、台風で倒木 行田・丸墓山古墳”. 朝日新聞DIGITAL (朝日新聞社) 2019年5月6日閲覧。
- ^ “丸墓山の桜が1本倒れました。”. 行田市民大学同窓会 (2018年11月6日). 2019年5月6日閲覧。
- ^ 丸墓山古墳の周辺 - 有限会社フカダソフト(きまぐれ旅写真館).2019年12月3日閲覧。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 丸墓山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館