丸子家継
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丸子 家継(まるこ の いえつぐ/ やかつぐ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は連。官位は従五位下・大炊頭。
出自
[編集]丸子は椀子とも記される。丸子氏(丸子連)は大伴氏の一族で[1]、丸子部を統括した伴造氏族。丸子部は継体朝から推古朝にかけて「マルコ」「マロコ」(椀子皇子〔丸高王〕・麻呂古皇子など)の名を持つ諸皇子に共有・伝領された名代・子代的な性格をもつ部で、陸奥国を中心に東国に設置されたとみられている[2][3]。
経歴
[編集]文徳朝の斉衡3年(856年)外従五位下に叙せられると、翌天安元年(857年)大炊頭に任ぜられる。天安2年(858年)文徳天皇の葬儀に際して、越中権守・房世王らとともに養役夫司を務めた。
清和朝の貞観5年(863年)正月に内位の従五位下に叙せられる。同年2月に木工助に遷るが、翌貞観6年(864年)3月には再び大炊頭に還任している。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 斉衡3年(856年) 正月7日:外従五位下
- 天安元年(857年) 3月20日:大炊頭
- 天安2年(858年) 8月27日:養役夫司
- 貞観5年(863年) 正月7日:従五位下(内位)。2月16日:木工助
- 貞観6年(864年) 3月8日:大炊頭