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丸山康雄

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丸山 康雄(まるやま やすお、1926年大正15年)2月26日 - 1994年平成6年)6月25日)は、昭和時代の労働運動家

経歴

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札幌市出身。1943年(昭和18年)、北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1948年(昭和23年)に北海道庁に入庁し、労政課に勤務した。1955年(昭和30年)全道庁労組書記長、1975年(昭和50年)全日本自治団体労働組合(自治労)委員長、1976年(昭和51年)日本労働組合総評議会(総評)副議長を歴任[1][2]。1981年(昭和56年)に第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員を務める(2年間)。労働界からは総評副議長の丸山と、同盟副会長の金杉秀信の2人が委員となった[3]。臨調委員だった1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて『臨調ニュース』(丸山康雄事務所)を刊行した。

著書

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  • 『行政改革への提言――丸山康雄意見集』(全日本自治団体労働組合、地方自治総合研究所編、日本評論社、1983年)
  • 『証言・第二次臨調』(新地書房、1984年)
  • 『権利闘争の前進をめざして――青木宗也先生還暦記念』(山本博、江田虎臣、武藤久真柄栄吉黒川武共編、エイデル研究所、1984年)

脚注

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