丸森仲吾
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まるもり ちゅうご 丸森 仲吾 | |
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生誕 |
1932年12月23日 日本 宮城県登米市 |
死没 |
2021年10月25日(88歳没) 宮城県仙台市 |
死因 | 心不全 |
出身校 | 東北大学経済学部 |
職業 | 銀行家 |
配偶者 | あり |
栄誉 | 旭日中綬章、仙台市特別市政功労者賞 |
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。
来歴・人物
[編集]出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。
宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍[1]。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。
労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。
2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた[2]。
2004年(平成16年)から2010年(平成22年)まで仙台商工会議所会頭を務め、トヨタ自動車グループの宮城進出、アジア太平洋経済協力会議(APEC)高級事務レベル会合の仙台市誘致などに立ち合った。また東北楽天ゴールデンイーグルスの発足にあわせ、官民組織「楽天イーグルス・マイチーム協議会」の設立に関わり、初代会長となった[2]。
2021年(令和3年)10月25日、死去[3]。死因は心不全[4][5]。88歳没。
略歴
[編集]- 1955年(昭和30年) - 東北大学経済学部卒業後、七十七銀行入行[3][4]
- 1985年(昭和60年)6月 - 取締役本店営業部長委嘱[3]
- 1987年(昭和62年)6月 - 常務取締役営業推進本部長委嘱[3]
- 1992年(平成4年)3月 - 専務取締役[3]
- 1996年(平成8年)6月 - 副頭取[3]
- 2001年(平成13年)6月 - 頭取[3][4]
- 2004年(平成16年) - 仙台商工会議所会頭[4]
- 2005年(平成17年)6月 - 七十七銀行会長[3]
- 2006年(平成18年)11月 - 旭日中綬章受章[3]。
- 2008年(平成20年) - 七十七銀行相談役[4]・仙台市教育委員会教育委員
- 2009年(平成21年)7月 - 仙台市特別市政功労者賞を受賞[3]
- 2010年(平成22年) - 仙台商工会議所会頭を退任[4]
- 2014年(平成26年)6月 - 七十七銀行相談役を退任[3]
脚注
[編集]- ^ “丸森さん逝去に惜しむ声 「東北の広域観光推進」「地銀の信頼強固に」”. 河北新報. (2021年11月5日) 2021年11月6日閲覧。
- ^ a b “丸森仲吾氏が死去 七十七銀行の元頭取、88歳”. 河北新報. (2021年11月4日) 2021年11月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “弊行元頭取 丸森 仲吾の逝去および「お別れの会」のお知らせ”. 七十七銀行 (2021年11月3日). 2021年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “丸森仲吾氏が死去 七十七銀行の元頭取、88歳”. 河北新報. (2021年11月4日) 2021年11月5日閲覧。
- ^ “丸森仲吾氏が死去 元七十七銀行頭取”. 日本経済新聞. (2021年11月4日) 2021年11月4日閲覧。
- ^ 日本金融名鑑 2005年版 上巻 2004.
参考文献
[編集]- 『日本金融名鑑 2005年版 上巻』日本金融通信社、2004年10月。