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丹羽氏明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
丹羽 氏明
時代 江戸時代前期
生誕 寛文7年(1667年
死没 貞享3年3月3日1686年3月26日
別名 勘助、氏房(初名)
戒名 性覚院徳雲道海大居士
墓所 岐阜県恵那市岩村町大名墓地
官位 従五位下、長門守
美濃岩村藩
氏族 一色丹羽氏
父母 父:丹羽氏純、母:香樹院
兄弟 女、氏明、數馬、土井元政正室
養子:丹羽氏音
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大名墓地(岐阜県恵那市岩村町)の丹羽氏明の墓

丹羽 氏明(にわ うじあきは、江戸時代前期の大名美濃国岩村藩4代藩主。氏次系丹羽家五代。

略歴

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寛文7年(1667年)、丹羽氏純の嫡男として岩村城で生まれた。幼名は勘助。

延宝2年(1674年)11月、父の氏純が没し、家督を相続した。

天和2年(1682年)12月、従五位下に叙せられ、長門守に任じられた。

貞享3年(1686年)3月3日、妻子が無いまま疱瘡で病没した。没した日は、3月2日とも言われている。享年20。法号は性覚院徳雲道海大居士。

分家で旗本丹羽氏音が、岩村藩主を嗣いだ。

当時岐阜県恵那市岩村町に存在した丹羽氏の菩提寺の妙仙寺に葬られたが、現在は寺は存在せず大名墓地に墓が残されている。

参考文献

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  • 『岩村町史』 十五 岩村藩主時代 2 丹羽氏 p186~p192 岩村町史刊行委員会 1961年
  • 『恵那郡史』 第七篇 第二十八章 諸藩分治 其一 丹羽氏五代 p213~p218 恵那郡教育会 大正15年
  • 『恵那市史 通史編 第2巻』 第二章 諸領主の成立と系譜 第三節 岩村藩 二 丹羽家 p121~p125 恵那市史編纂委員会 1989年
  • 『寛政重修諸家譜 第2 新訂』 第八十五 足利支流―一色 二篇・丹羽 二篇 p168~p175 堀田正敦 等 続群書類従完成会 1964年

脚注

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