乃美大方
乃美大方(のみ の おおかた、生年不詳 - 慶長6年9月14日(1601年10月9日))[1]は、戦国時代から安土桃山時代の女性。安芸国の戦国大名毛利元就の継室[2]、または側室。実名は不明。法名は「智光院殿蘭渓怡秀大姉」。
父は小早川氏の一族である乃美弾正忠弘平[1][2]、あるいは乃美安芸守隆興[3](毛利家乗による)。
生涯[編集]
毛利元就の正室である妙玖の死後、天文17年(1548年)頃に元就に嫁いだ。継室であったとも、側室であったとも言われる。
天文20年(1551年)に元就の四男・少輔四郎(後の穂井田元清)、永禄2年(1559年)に七男・少輔六郎(後の天野元政)、永禄10年(1567年)に九男・才菊丸(後の小早川秀包)を産む[4]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に毛利氏の防長移封に従い、長門国豊浦郡秋根[注釈 1]に移住するも、翌慶長6年(1601年)9月14日に病没する[1][2]。
関連作品[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 時山弥八編『国立国会図書館デジタルコレクション 稿本もりのしげり』1916年。 NCID BN04718592 。
- 三原市役所 編『三原市史』 第一巻《通史編一》、三原市役所、1977年2月15日。NDLJP:9573832。(要登録)