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久世条教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久世条教(くせじょうきょう)は、江戸時代旗本で各地の代官を歴任した早川正紀が書いた、農民に対する説諭書(農民の心得)。全7箇条からなる。製本としては1799年寛政11年)3月刊行。

「勧農桑(のうそうをすすむ)」「敦孝弟(こうていをあつくす)」「息争訟(そうしょうをやむ)」「尚節倹(せっけんをたっとぶ)」「完賦税(ふぜいをまっとうす)」「禁洗子(せんしをきんず)」「厚風俗(ふうぞくをあつくす)」の7箇条からなる。このうち第5・6条を除く5箇条は、康熙帝が康熙9年(1670年寛文10年)に通達した「康熙聖諭」16箇条を模範としている。

早川は、自ら建てた両教諭所(「典学館」(1791年建立の日本最初の教諭所。1795年に左記に改称。美作国久世)および「敬業館」(1798年建立。備中国笠岡))を通じて疲弊し荒廃した地域の復興のために「久世条教」を月3回民衆に教諭したと言う。当時の久世などに多く見られた堕胎・間引きの習慣を改善するために「禁洗子」の一条を盛り込み、育児を奨励しているのも特徴。