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久世通章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
久世通章
久世通章
時代 江戸時代後期 - 昭和時代
生誕 安政6年7月16日[1]1859年8月14日
死没 昭和14年(1939年4月14日[1][2]
主君 明治天皇大正天皇昭和天皇
氏族 久世家
父母 父:久世通煕、母:家女房
兄弟 通章、琴陵光煕
先室:岩倉静子(岩倉具視の三女)
後室:田鶴(清水又兵衛の長女)
通志、三千子、章業
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久世通章

久世 通章(くぜ みちふみ、みちあき)は、幕末公家、明治から大正期の政治家宮内官・華族貴族院子爵議員

経歴

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山城国京都参議久世通煕の長男として生まれる[1][3][4]万延2年1月1861年12-3月)従五位下に叙され、慶応2年11月1866年12月)に元服し昇殿を許された[4]。父の隠居に伴い、1875年12月21日に家督を継承[1][3][4]1884年7月8日、子爵を叙爵した[1][3][4][5]

1876年12月、淑子内親王家祗候に就任[2]。その後、太政官六等属、京都上京区域内学事名誉委員などを務めた[2][3][4]

1890年(明治23年)7月10月、貴族院子爵議員に選出され、1904年(明治37年)7月10日まで二期在任した[2]1892年(明治25年)3月、京都市会議員選挙に上京区三級選挙区から出馬して当選し、内国勧業博覧会と平安遷都紀念祭の開催、京鶴鉄道の推進に尽力した[6]

貴族院議員任期満了後、大喪使祭官、大礼使典儀官を務め、1916年(大正5年)2月29日、殿掌に就任し[7]、儀式や祭礼、有職故実衣紋道などの分野で活躍した[8]。また、蹴鞠の保存と継承に尽くし、蹴鞠保存会会長を務めた[1][9]

1938年(昭和13年)5月21日に隠居し[10]、同年7月1日、二男・章業が子爵を襲爵した[1][11]

著作

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  • 『有職衣紋写真図解』竜谷大学国文学会、1927年。
  • 『蹴鞠』大日本蹴鞠会、1938年。

家系

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父母
配偶
  • 先妻:静子(やすこ、岩倉具視三女、離縁)[1]
  • 後妻:田鶴(たづ、清水又兵衛長女、滋賀県出身)[1]
子女
先妻との子女
後妻との子女
章業の家族
  • 貞子(1906-1969、妻、野口五平治の娘。)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『平成新修旧華族家系大成 上巻』545-546頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録』11版 上、ク11-12頁。
  4. ^ a b c d e 『大日本華族大鑑』144頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『京都に残った公家たち』161-164、169-172頁。
  7. ^ 『官報』第1072号、大正5年3月1日。
  8. ^ 『京都に残った公家たち』235-236頁。
  9. ^ 『京都に残った公家たち』237-239頁。
  10. ^ 『官報』第3417号、昭和13年5月27日。
  11. ^ 『官報』第3448号、昭和13年7月2日。
  12. ^ 『久世家譜』

参考文献

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  • 『久世家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録』11版 上、1937年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 刑部芳則『京都に残った公家たち:華族の近代』歴史文化ライブラリー、吉川弘文館、2014年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
久世家初代
1884年 - 1938年
次代
久世章業