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久世 (真庭市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 岡山県 > 真庭市 > 久世
久世
真庭市役所本庁
真庭市役所本庁
久世の位置(岡山県内)
久世
久世
久世の位置
北緯35度4分32.17秒 東経133度45分9.84秒 / 北緯35.0756028度 東経133.7527333度 / 35.0756028; 133.7527333
日本
都道府県 岡山県
市町村 真庭市
行政地区 久世
人口
2014年(平成26年)5月1日現在)[1]
 • 合計 3,513人
郵便番号
719-3201
市外局番 0867(久世MA)
ナンバープレート 岡山
※座標は真庭市役所本庁付近[2]

久世(くせ)は、岡山県真庭市(旧久世町)にある大字である。同市の市役所所在地であり、旧久世町役場所在地。かつての大庭郡久世村に相当する。

近世においては、一時期徳川幕府代官所久世代官所、または久世陣屋)が設置され、その陣屋町として栄えた。 また、出雲往来の宿場町としても繁栄し、本陣が置かれていた。

郵便番号は719-3201(久世郵便局管区)。人口は3513人(男性1649人、女性1864人)。世帯数は1371世帯(2014年5月現在)[1]

概要

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真庭市の東南部にある歴史の古い町で、旭川の左岸に町並が続き、役場・郵便局・中央公民館など公的機関が集中する。真庭地方では勝山と並んで古くから行政面での中枢地域であり、真庭郡以前の大庭郡時代は、郡内の中枢であった。江戸時代には、出雲街道の宿場、天領の久世代官所の陣屋町として栄え、古い家並みが一部今も残る[3][4]

久世神社朝日神社真言宗吉祥寺、同長福寺、同重願寺、日蓮宗興善寺などの社寺があり、また出雲の松平家が参勤交替の途次宿泊した本陣の跡、寺畑山城跡、典学館跡もある。久世代官所跡が、重願寺境内にある[3]

沿革

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歴史

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古代においては、『和名類聚抄』に載る美作国大庭郡の久世郷の一部であったとされ、地名は郷名の遺称とされる[3]

近世には久世村と称した。古くは久世村は、山寄りの「山方」と旭川寄りの「原方」に分かれていた。久世など大庭・真島郡などは、美作中心部にあたる現在の津山市街から見て、より山奥にあたったので、通称「山中」(さんちゅう)という地方名で呼ばれることもあった[3]

久世村は、宇喜多氏小早川氏の所領を経て、慶長8年(1603年)に津山藩森忠政の所領に移る。久世では牛馬市が行われ、慶長9年からはじまり、盛期には3万頭の入場記録をつくった。元禄10年、森氏が断絶。その翌年、松平宣富が新たに津山藩主となり、久世村も支配した[3]

享保11年(1726年)、凶作のうえ、津山藩が年貢米の収納期を早めたため、大庭・真島両郡の農民は久世に会合して百姓一揆を起こした。この一揆はのちに「山中一揆」(さんちゅういっき)と呼ばれるようになった。これを受けて、翌12年、津山藩は10万石から5万石に削減され、さらに久世地方は江戸幕府の直轄領となり、久世に代官所(久世代官所久世陣屋とも)を置いて領地を支配させた。代々の代官中、早川八郎左衛門正紀は農耕と養蚕の振興に努力し、久世を美作西部の政治経済の中心地として繁栄に導いた[3]

文化14年、津山藩がもとの10万石に復したので、久世村原方、同山方とも津山領に戻り明治に至る[3]

明治5年8月、久世村原方・同山方を合併して単一の久世村とする。同22年6月1日の町村制施行にあたり大庭郡久世・中島・多田・鍋屋・三坂・山久世の6村が合併して大庭郡久世村をつくる。同29年2月、町制を実施し久世町、同33年4月1日、大庭・真島2郡が合併して真庭郡となる。翌34年4月、山久世を分離して一宮村(のち勝山町)に編入、同37年6月1日、同郡川南村と合併して大きくなり、さらに昭和30年4月29日 に同郡美和村と合併[3]

平成17年3月31日、真庭郡久世町・勝山町落合町湯原町美甘村川上村八束村中和村および備中国側となる上房郡北房町の5町4村が対等合併し、真庭市を新設。

地名の由来

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古くからの日本語で、湾曲していることを「曲」(くせ)というが、当地で旭川の流路が大きく湾曲し、その周辺地域を「くせ」と呼ぶようになり、久世の表記が当てられるようになったとされる。

また、当地東部で旭川に目木川が合流しており、また、古くから出雲街道の渡し場であったことから、「古瀬」(こせ)と称したが、久瀬に変化し、久世の字を用いるようになったという説もある[3]

さらに、古い言葉で、岩の多い浅瀬や川原を「曲瀬」(くせ)と呼んだことから、これに由来しているともいわれる。

いずれの説も、河川(旭川)の地形に由来しているのは共通である。

年表

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久世地区の出来事
年月日 出来事 備考
慶長8年 津山藩主森氏の所領となる。
慶長9年 牛馬市がはじまる。
元禄10年 津山藩主森家が断絶となる。
元禄10年 松平氏が新たな津山藩主となる。
享保11年 山中一揆が勃発する。
享保12年 徳川幕府直轄領となり、久世代官所が設営される。
文化14年 再び津山藩領となる。
明治5年8月 大庭郡久世村原方・同山方を合併して同郡久世村とする。
明治22年6月1日 町村制施行により、大庭郡久世・中島多田鍋屋三坂山久世の6村が合併して大庭郡久世村を新設。同村の大字久世となり、役場が設置される。
明治29年2月 町制へ移行し、久世町へ改称。
明治33年4月1日 大庭郡・真島郡が統合されて真庭郡となる。
明治34年4月 山久世を久米町より分離して、一宮村(のち勝山町)へ編入。
明治37年6月1日 真庭郡川南村を編入合併。
昭和30年4月29日 真庭郡美和村を編入合併。
平成17年3月31日 真庭郡久世町・勝山町落合町湯原町美甘村川上村八束村中和村および備中国側となる上房郡北房町の5町4村が対等合併し、真庭市を新設。旧久世町役場は同市役所久世支局となる。
平成23年4月1日 久世支局敷地に市役所新庁舎が完成し、勝山から同所に市役所本庁舎が移転。同時に久世支局は廃止となる。

地勢

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山岳
河川

文化・祭り

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  • 久世祭り
  • 作州久世ぼっこう祭
  • まにワッショイ(有志団体)

主要施設

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公的施設

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教育施設

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医療・福祉施設

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郵便局・金融機関

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一般企業・商店

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寺社等

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神社仏閣・その他宗教施設

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史跡

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交通

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道路

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久世は勝山と並び交通の要衝であり、多くの国道・県道が交差、分岐している。

鉄道

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参考文献

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  • 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  • 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
  • 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
  • 地域別構想-真庭市 PDF版(2013年12月閲覧)

脚注

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  1. ^ a b 人口・世帯数|真庭市 2014年5月11日閲覧。
  2. ^ Google Earthより
  3. ^ a b c d e f g h i 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  4. ^ 地域別構想-真庭市 PDF版(2013年12月閲覧)

外部リンク

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関連項目

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