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久保岩太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久保 岩太郎(くぼ いわたろう)
人物情報
生誕 1897年3月13日
日本の旗 日本 香川県
死没 1980年4月29日
国籍 日本の旗 日本
出身校 山口高等商業学校
東京商科大学
学問
活動地域 関西学院大学
東京商科大学
一橋大学
青山学院大学
拓殖大学
明治学院大学
中央大学
慶應義塾大学
上智大学
研究分野 国際私法
研究機関 一橋大学
東京大学
博士課程指導教員 山口弘一
主な指導学生 秌場準一
学位 法学博士
称号 一橋大学名誉教授
影響を受けた人物 江川英文
学会 国際私法学会
国際法学会
国際法協会
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久保 岩太郎(くぼ いわたろう、1897年3月13日 - 1980年4月29日)は、日本法学者。専門は国際私法学位は、法学博士東京大学論文博士・1953年)。一橋大学名誉教授。山口弘一の弟子。

来歴

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香川県木田郡十河村(現高松市)生まれ。1916年旧制香川県立高松中学校(現香川県立高松高等学校)卒業、1919年旧制山口高等商業学校(現山口大学経済学部)卒業。1923年東京商科大学(現一橋大学)卒業。論争を機に交流のあった江川英文との縁で、1953年東京大学より法学博士学位を取得。

大学院の指導学生に秌場準一(一橋大学名誉教授)[1]海老澤美廣(元名古屋高等裁判所判事、元青山学院大学教授)[2][3]

経歴

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1923年4月関西学院大学高等商業学部教授、1938年東京商科大学附属商学専門部教授兼東京商科大学講師、1940年東京商科大学教授兼任、1949年東京商科大学教授、1951年一橋大学法学部教授、1955年から1957年まで一橋大学法学部長及び評議員。1959年一橋大学を停年退官し一橋大学名誉教授称号を受ける。同年青山学院大学法学部長就任。

この間拓殖大学明治学院大学高等商業部、東京女子大学中央大学慶應義塾大学上智大学でも講師として教鞭をとる。

また1946年から1948年まで高等試験臨時委員、1949年から1957年まで司法試験考査委員、1949年から国際私法学会理事。1950年から国際法学会理事、1951年から検察官特別考試審査会臨時委員、1953年から東京家庭裁判所参与員、1954年から外交官及領事館試験専門試験委員、1957年から法務省法制審議会国際私法部会委員、1959年から国際法協会日本支部理事[4]。1970年勲三等瑞宝章受章[5]。1980年叙正四位[6]

脚注

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  1. ^ [1]
  2. ^ 秌場準一「外国人夫婦に対するわが国の離婚裁判権」
  3. ^ コトのハジマリ一橋大学創立150年史準備室
  4. ^ [2]
  5. ^ 官報昭和45年号外第61号 2頁
  6. ^ 官報昭和55年本紙第16003号 16頁