久保恵美子
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名前 | ||||||
本名 | 畑中 恵美子 | |||||
カタカナ | クボ エミコ | |||||
ラテン文字 | KUBO Emiko | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1966年12月28日(57歳) | |||||
出身地 | 大阪府[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
高槻女子FC | ||||||
西山高クラブ | ||||||
代表歴 | ||||||
1981-1984 | 日本 | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
久保 恵美子(くぼ えみこ、1966年12月28日[2] - )は、日本の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表で、代表最年少出場記録を持つ。現在の姓は「畑中」、サッカー選手の畑中美友香は娘[3]。
来歴
[編集]小学校6年生の時に学校の先生から「何かで日本一を目指そう!」と呼びかけられたことがきっかけで、同学年の女子とともに「ゴールデンガールズ」というサッカーチームを立ち上げた。サッカーを選んだ理由は大人数でプレーできることと、身長差がそれほど問題にならないことであった。すぐに地元の女子チームと試合を行ったが大敗してしまい、その悔しさから日々練習を積み重ねた[4]。
中学1年生になり高槻女子FCを立ち上げて第1回全日本女子サッカー選手権大会に出場、準優勝した[5]。高校時代は西山高クラブでプレー。卒業後に高槻女子FCへ復帰、全日本女子選手権優勝を果たした。23歳の時に結婚し現役を引退した[1]。
サッカー日本女子代表では、高槻女子FC在籍時[2]の1981年9月6日、ポートピア'81国際女子サッカーのイングランド代表との試合でデビューした[6]。試合は0-4で敗れた。この試合で達成した14歳と262日での出場は日本女子代表における国際Aマッチ最年少出場記録である[7]。その後、1984年10月の中国遠征でも日本代表に選出され、全3試合に出場した[6]。日本代表での出場は、通算でこの4試合に出場した[8]。国際Aマッチ以外も含めた日本代表での通算成績は10試合2得点[2]。
代表歴
[編集]- 1981年9月6日 - A代表初出場 - イングランド戦
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 4試合(1981-1984)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1981 | 1 | 0 |
1982 | 0 | 0 |
1983 | 0 | 0 |
1984 | 3 | 0 |
通算 | 4 | 0 |
出場
[編集]# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1 | 1981年09月06日 | 兵庫県 | 神戸市立中央球技場 | イングランド | ●0-4 | 市原聖曠 | ポートピア'81 |
2 | 1984年10月17日 | 西安 | イタリア | ●0-6 | 折井孝男 | 西安招待 | |
3 | 1984年10月22日 | 西安 | オーストラリア | ●2-6 | 西安招待 | ||
4 | 1984年10月24日 | 西安 | イタリア | ●1-5 | 西安招待 |
脚注
[編集]- ^ a b 老野生智明 2018, p. 111
- ^ a b c 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、635頁。
- ^ 老野生智明 2018, p. 110
- ^ 老野生智明 2018, pp. 111–112
- ^ 老野生智明 2018, p. 112
- ^ a b c 日本サッカー協会
- ^ 『JFAイヤーブック2011』日本サッカー協会、2012年、98頁。
- ^ 日本サッカー協会
参考文献
[編集]- 老野生智明「偶然の出会いと必然の成長」『なでしこリーグ30年の軌跡』、ベースボール・マガジン社、2018年9月6日、110-113頁、ISBN 978-4-583-62561-4。