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久山多美男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久山 多美男(くやま たみお、1902年9月30日[1] - 2001年9月15日[2])は、日本海軍軍人(造兵科士官)、応用物理学者音響技術者防衛大学校名誉教授。理学博士(東京大学)。最終階級は海軍技術大佐

経歴

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陸軍大佐久山又三郎の次男として東京府東京市牛込区に生まれる[3]。1920年福岡県立中学修猷館[4](1年繰り上げ卒業)、1923年3月第六高等学校理科甲類[5]を経て、1926年3月東京帝国大学理学部物理学科を卒業[6][1]

1926年海軍造兵中尉として呉海軍工廠に入り、水中音響の研究を行う。1929年から1930年にかけて、海軍監督官として米国とドイツに出張。米国ではサブマリン・シグナル社に発注した水中聴音機パッシブ・ソナー)の製造を監督し、ドイツではエレクトロ・アクスティック(エラック)社の水中聴音機の性能の調査を行った[3]。その後、連合艦隊司令部附、横須賀海軍工廠機雷実験部員、海軍技術研究所音響研究部員を歴任。最終階級は海軍技術大佐[1]。海軍技術研究所では、戦艦大和に装備する水中聴音機の開発および実装を行っている[3]

戦後、1946年1月東京大学理学部地球物理学教室に勤務し、理学博士を授与されるが、公職追放となたっため退職する。1948年9月海上電機(現・カイジョー)に入社し、取締役研究所長を務め、1953年保安大学校教授に転じ、1954年7月に防衛大学校に改名されるとその教授となる。1967年3月防衛大学校副校長に選任される[1]。1971年3月退職し、名誉教授となる[3]

1973年11月勲二等瑞宝章。1978年6月海洋音響研究会顕功賞。1979年6月日本音響学会功績賞[3]

脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録第25版』(人事興信所、1969年) ク-25頁
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年) II 学術・文芸・芸術篇』(日外アソシエーツ、2012年)p.398
  3. ^ a b c d e 久山多美男『ノイズを超えて』(創栄出版(自費出版)、1993年)
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員16頁
  5. ^ 『第六高等学校一覧(自大正12年至大正13年)』(第六高等学校、1923年)244頁
  6. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正12年至大正13年)』(東京帝国大学、1924年)學生及生徒姓名63頁