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久田村 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くたむら
久田村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
厳原町、久田村豆酘村佐須村厳原町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,815
国勢調査、1955年)
隣接自治体 下県郡厳原町佐須村豆酘村
久田村役場
所在地 長崎県下県郡久田村大字久田57番地
座標 北緯34度11分13秒 東経129度16分56秒 / 北緯34.18703度 東経129.28214度 / 34.18703; 129.28214 (久田村)座標: 北緯34度11分13秒 東経129度16分56秒 / 北緯34.18703度 東経129.28214度 / 34.18703; 129.28214 (久田村)
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久田村(くたむら)は、長崎県下県郡にあった村。1912年(明治45年)に与良村及び厳原町の各一部より分立し[1][2]、1956年(昭和31年)に厳原町、豆酘村佐須村と合併し、改めて発足した厳原町の一部となった。

現在の対馬市厳原町の南東部にあたる。

地理

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対馬島の南東部に位置する。

  • 山:有明山矢立山竜良山、木槲山(もっこくやま)、増木庭山、舞石ノ壇山、断伐山、板置山、小鳥毛山、河原田山、松無山、碇隅山、神山、下崎山、宮ノ岳山、下原山、竜本山、丸隈山、ダシ山、向山、大崎山、在家山、嗚呼難儀坂(あなぎざか)
  • 島嶼:内院島、輪島
  • 河川:内院川、瀬川、久田川、久和川
  • 港湾:厳原港、久和浦、内院浦、安神浦、尾浦浦、瀬浦

沿革

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  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、豆酘村・尾浦村・安神村・久和村・与良内院村・豆酘内院村・豆酘瀬村・佐須瀬村・内山村が合併し下県郡与良村が発足[3]
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 与良村が以下の2村に分割される[1][2]
    • 与良村の一部(大字尾浦・安神・久和・与良内院・豆酘内院・豆酘瀬・佐須瀬・内山)と厳原町の一部(大字久田)が合併し、久田村が発足。
    • 与良村の残部(大字豆酘)より豆酘村が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 厳原町・豆酘村・佐須村と合併して改めて厳原町が発足し、久田村は自治体として消滅。

地名

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大字を行政区域とする。

  • 安神(あがみ)
  • 内山(うちやま)
  • 尾浦(おうら)
  • 久田(くた)
  • 久和(くわ)
  • 佐須瀬(さすせ)
  • 豆酘瀬(つつせ)
  • 豆酘内院(つつないいん)
  • 与良内院(よらないいん)

名所・旧跡

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  • 竜良山原始林[4]
  • お船江跡[5]

参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 長崎縣告示第百二十四號『下県郡厳原町の内大字久田分割並びに与良村を廃し久田村及び豆酘村を置くの件』長崎県公報 明治45年3月2日付号外
  2. ^ a b 長崎縣令第十四號『下県郡厳原町の内大字久田分割並びに与良村を廃し久田村及び豆酘村を置くの件』長崎県公報 明治45年3月5日付号外
  3. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  4. ^ 龍良山原始林 文化遺産オンライン
  5. ^ 対馬藩お船江跡 長崎県の文化財
    新設の厳原町発足後の1969年(昭和44年)、長崎県の史跡に指定。

関連項目

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