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久米村 (愛媛県温泉郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久米村 (愛媛県)から転送)
くめむら
久米村
廃止日 1955年5月1日
廃止理由 編入合併
松山市、湯山村伊台村五明村久米村松山市
現在の自治体 松山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
温泉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,829
国勢調査1950年
久米村役場
所在地 愛媛県温泉郡久米村
座標 北緯33度30分26秒 東経132度31分38秒 / 北緯33.50719度 東経132.52725度 / 33.50719; 132.52725座標: 北緯33度30分26秒 東経132度31分38秒 / 北緯33.50719度 東経132.52725度 / 33.50719; 132.52725
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久米村(くめむら)は愛媛県久米郡温泉郡にあったで、現在の松山市高井町、久米窪田町、来住町、鷹子町、南久米町北久米町福音寺町、南土居町に相当する。

農村であったが、東道後温泉の開湯により、温泉郷となる。

近年、宅地化が進んでいる。

沿革

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  • 1889年明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、高井村、窪田村、来住村、鷹子村、南久米村、北久米村、福音寺村、南土居村(一部)が合併して久米郡久米村が発足。
  • 1893年(明治26年)5月7日 - 伊予鉄道久米駅開業。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡を温泉郡に変更。
  • 1906年(明治39年)3月23日 - 久米郵便局が開局[1]
  • 1914年大正03年)
    • 4月 - 小野・久米・石井・浮穴・南吉井五ヶ村入山組合設立[2]
    • 日尾八幡神社前-新立橋間の新道開通[3]
  • 1920年(大正09年) - 村役場および公会堂新築落成[2]
  • 1931年昭和06年) - 日尾八幡神社前-小野川平井橋間の新道開通[3]
  • 1945年(昭和20年)3月頃 - 村内で軍用滑走路の建設開始(終戦により中止)[4]
  • 1951年(昭和26年)9月 - 久米公民館が開館[5]
  • 1955年(昭和30年)5月1日 - 松山市に編入。同日久米村廃止。

  • 1956年(昭和31年)
    • 7月 - 久米地区で松山市との合併解消と分村を求める署名運動が始まる[注 1]
    • 10月25日 - 松山市議会は久米地区の分離を承認。しかし愛媛県はこれを認めなかった[6]
  • 1958年(昭和33年)3月29日 - 分収金問題の調停成立により分離決議を白紙撤回[6]

地理

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河川

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  • 川附川
  • 堀越川
  • 小障子川
  • 小野川
  • 悪社川
  • 内川

教育

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交通

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鉄道路線

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道路

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名所・旧跡

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出身・ゆかりのある人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 旧久米村が共有林を処分した利益(分収金)は久米地区で使用するとの合併条件が反故にされたため(松山市史編集委員会 『松山市史 第四巻』 松山市役所、1995年、193頁)。

出典

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  1. ^ 『久米村誌』 256頁
  2. ^ a b 『久米村誌』 221-222頁
  3. ^ a b 『城下町松山と近郊の変貌』302頁
  4. ^ 『久米郷土誌』 194-196頁
  5. ^ 『久米村誌』 409-410頁
  6. ^ a b 松山市史編集委員会 『松山市史 第四巻』 松山市役所、1995年、193頁

参考文献

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  • 久米村誌刊行会編集部 『久米村誌』 久米公民館、1965年
  • 久米郷土誌編集委員会 『久米郷土誌』 久米公民館、1992年
  • 窪田重治 『城下町松山と近郊の変貌』 青葉図書、1992年

関連項目

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