智恩寺 (宮津市)
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(九世戸の文殊から転送)
智恩寺 | |
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文殊堂 | |
所在地 | 京都府宮津市字文珠466 |
位置 | 北緯35度33分30.9秒 東経135度11分1.6秒 / 北緯35.558583度 東経135.183778度座標: 北緯35度33分30.9秒 東経135度11分1.6秒 / 北緯35.558583度 東経135.183778度 |
山号 | 天橋山(てんきょうざん) |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 文殊菩薩(秘仏、重要文化財) |
創建年 | (伝)808年(大同3年) |
開基 | (伝)平城天皇(勅願) |
別称 | 切戸の文殊、九世戸の文殊、知恵の文殊 |
札所等 | 日本三文殊 |
文化財 |
多宝塔、木造文殊菩薩・脇侍善財童子及び優填王像、金鼓、鉄湯船(重要文化財) 山門(黄金閣、府文化財) |
法人番号 | 2130005009591 |
智恩寺(ちおんじ)は、京都府宮津市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天橋山(てんきょうざん)。
地形にちなんで通称「切戸(きれと[1])の文殊」や「九世戸(くせど[2][3])の文殊」、また「智恵(知恵)の文殊」と呼ばれ[4]、奈良県桜井市の安倍文殊院(安倍文殊)、山形県高畠町の大聖寺(亀岡文殊)などとともに[注 1]日本三文殊のひとつとされる。本尊の文殊菩薩は秘仏とされ、正月三が日、1月10日、7月24日の年5日の開帳がある。
2017年(平成29年)4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された[5][6]。
歴史
[編集]寺伝によれば、808年(大同3年)の平城天皇の勅願寺として創建されたという。延喜年間(10世紀初頭)には、醍醐天皇から勅額を下賜されたというが、以後、中世までの歴史は判然としない。当初は密教(真言宗)の寺院で、禅宗寺院になるのは南北朝時代以降である。
古くから文殊信仰の霊場として知られ、謡曲「九世戸(くせのと)」の題材となっている。現存する多宝塔は室町時代のものだが、本堂、山門、方丈などはいずれも近世以降のものである。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 多宝塔 - 丹後国守護代・延永春信によって建立され、1501年(明応10年)に落成[7]。
- 木造文殊菩薩・脇侍 善財童子及び優填王像
- 金鼓 - 1322年(至治2年)銘、高麗時代。鋳銅、面径49.2cm[8]。
- 鉄湯船 - 1290年(正応3年)に河内国の鋳物師・山川貞清により制作された。現在は手水鉢として使われている[9]。
府指定文化財
[編集]- 文殊堂 - 1657年(明暦3年)の改修により現在の形となる。1997年(平成9年)-1999年(平成11年)保存修理を施工[10]。
- 山門(黄金閣) - 1767年(明和4年)9月上棟[8]。
- 鐘楼門(暁雲閣) - 1722年(享保7年)建立[8]。
- 「萬福寺」扁額 - 1346年(貞和2年)南北朝時代。木製黒漆塗、53.2×33.6cm[8]。
- 絹本著色 釈迦三尊像 - 南北朝時代。一幅、113.0×63.8cm[8]。
- 絹本著色 地蔵菩薩像 - 南北朝時代。一幅、144.2×78.7cm[8]。
- 九世戸縁起 - 室町時代。一巻、25.1×513.5cm[8]。
- 九世戸智恩寺幹縁疏并序 - 1486年(文明18年)室町時代。一巻、27.7×162.9cm[8]。
- 木造大日如来坐像 康珎作
市指定文化財
[編集]- 山門(黄金閣) - 1767年(明和4年)9月上棟[8]。
- 石造地蔵菩薩立像 - 3体(南2体・北1体)の等身地蔵菩薩像のうち2体(南右側1体・北1体)が1993年(平成5年)に指定[11]。
- 三角五輪塔
その他
[編集]- 方丈 - 1841年(天保12年)再建、東西24m、南北16m[8]。
- 庫裏 - 1799年(寛政11年)再建、東西15m、南北20m、高さ10m[8]。
- 鐘楼 - 1881年(明治14年)建立、東西・南北3.6m[8]。
- 鎮守堂 - 1849年(嘉永2年)再建、東西3m、南北2m[8]。
- 豫科練供養塔
- 力石 - 大130㎏・中100㎏・小70㎏。祭りなどの余興に持ち上げた石を奉納したもので、この石に触わると知恵を授かるといわれる[12]。
- 彫刻
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多宝塔
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山門
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石造地蔵菩薩立像
(南に並ぶ2体) -
豫科練供養塔
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力石
交通アクセス
[編集]出版物
[編集]- 永濱 宇平『天橋立』天橋山智恩寺、1930年。NCID BA32834782。
- 改訂版『天橋立』六松堂、1931年。NCID BB03553936。
- 京都プランニングハウス、若杉 準治『智恩寺と天橋立』天橋山智恩寺、1999年、NCID BC07339491、NCID BC07339505。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 日本国語大辞典, 精選版. “切処・切戸(きれと)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年5月8日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典,日本歴史地名大系, 精選版. “九世戸(くせのと)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年5月8日閲覧。
- ^ 平凡社 編『京都府の地名』 26巻(オンデマンド)、平凡社地方資料センター〈日本歴史地名大系〉、2002年。ISBN 4582910408。 NCID BA6108100X。
- ^ “知る - 天橋立 智恩寺” (2021年7月7日). 2023年5月8日閲覧。
- ^ 文化庁. “日本遺産認定ストーリー一覧”. 「日本遺産(Japan Heritage)」について. 2020年11月11日閲覧。
- ^ 文化庁. “300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊”. 日本遺産ポータルサイト. 2020年11月11日閲覧。
- ^ 宮津市教育委員会 「智恩寺多宝塔(室町時代)」(現地案内板)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “天橋立 智恩寺 - 文化財紹介”. 智恩寺. 2015年5月25日閲覧。
- ^ 宮津市教育委員会 「鉄湯船(鎌倉時代)」(現地案内板)
- ^ “天橋立 智恩寺 - 智恩寺とは”. 智恩寺. 2015年5月27日閲覧。
- ^ 宮津市教育委員会 「石造地蔵菩薩像(室町時代)」(現地案内板)
- ^ 「力石」(現地案内板)