亀岡市立亀岡小学校
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亀岡市立亀岡小学校 | |
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北緯35度00分41秒 東経135度34分45秒 / 北緯35.011389度 東経135.579056度座標: 北緯35度00分41秒 東経135度34分45秒 / 北緯35.011389度 東経135.579056度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 亀岡市 |
設立年月日 | 1872年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B126210002026 |
所在地 | 〒621-0864 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
亀岡市立亀岡小学校(かめおかしりつ かめおかしょうがっこう)は、京都府亀岡市にある公立小学校。
概要
[編集]前身は、組合立亀岡小学校であった。市政施行前亀岡市は、「京都府南桑田郡亀岡町」であった。
亀岡市として、1955年(昭和30年)に南桑田郡内の16カ町村が合併し、市政施行特例措置法により人口30,000人超えで市政に移行した。この時期に「亀岡市」が誕生し、同期に「亀岡市立亀岡小学校」と改称した。
亀岡小学校の所在地は亀岡市内丸町であり、「内丸」の名のとおり、旧亀山城内(「旧亀山城」は、本能寺の変の勃発時代には、明智光秀の居城であり「亀山城(亀山)」と呼称される。1869年(明治2年)に三重県の「亀山」と混同される恐れがあるため、「亀岡」と改称され現在に至っている)の一角に位置し、「亀岡市立亀岡小学校」の近傍には「亀岡市立亀岡中学校」ならびに「京都府立亀岡高等学校」が所在する。
長年、亀岡市内最大の小学校であり、1000人を超える生徒が通っていたが、校区内の人口の高齢化と少子化により生徒数は現在、ピーク時の半分以下である。又、市内中心部であり旧亀岡町地域(通称:旧町)に存在するため長年、亀岡市内の初等教育の中心的存在であり障害児学級や、聴覚や言語に障害を持つ生徒の為の施設が併設されている。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)6月 - 邁訓小学校(横町)旧藩文武校の校地に設立
- 1872年(明治5年)10月 - 成章小学校(安町)設立
- 1891年(明治24年)4月 - 「邁訓・成章尋常小学校」を合併、「亀岡尋常小学校」と改称
- 1909年(明治42年)4月 - 高等科を併設、「亀岡第一・第二尋常高等小学校」と改称
- 1921年(大正10年)4月 - 「第一・第二尋常高等小学校」を合併、校名を「亀岡尋常高等小学校」と改称
- 1927年(昭和2年)11月 - 校歌制定
- 1933年(昭和8年)6月 - 学校誌「桜が岡」創刊
- 1941年(昭和16年)4月 - 「亀岡国民学校」と改称
- 1947年(昭和22年)4月 - 「亀岡小学校」と改称、初等科卒業生及び高等科1・2年生修了者は新制中学校編入
- 1947年(昭和22年)11月 - 学校給食開始
- 1955年(昭和30年)4月 - 市制移行で「亀岡市立亀岡小学校」と改称
- 1956年(昭和31年)6月 - 特別学級(障害児学級)開設
- 1958年(昭和33年)6月10日 - 5年生の児童が乗った京都交通バスが山陰本線八木駅-千代川駅間の踏切で列車と接触。児童の死者4人、重傷者38人[1]。
- 1966年(昭和41年)10月 - 新校舎(現校舎)落成(設計:富家建築事務所、所長:富家宏泰)
- 1972年(昭和47年)11月 - 創立百周年記念式挙行
- 2010年(平成22年)7月 – 南校舎耐震工事開始
- 2010年(平成22年)9月 – 南校舎耐震工事終了
桜ヶ丘
[編集]亀岡小学校の運動場の南側一帯に「桜ヶ丘」と称する小高い丘があり、児童生徒の恰好の遊び場でもあったが、校舎の増築工事等のため取り壊され、その面影は今はない。 しかし校舎の増築工事が終わってからは、敷地内の南側に桜ヶ丘はある。
おもな出身者
[編集]通学区域が隣接している学校
[編集]脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、128頁。ISBN 9784816922749。