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二塚古墳 (仙台市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二塚古墳

発見当時の石棺
所在地 宮城県仙台市太白区鹿野2丁目
位置 北緯38度13分47.6秒 東経140度52分20.1秒 / 北緯38.229889度 東経140.872250度 / 38.229889; 140.872250
形状 前方後円墳(非現存)
規模 全長20-30m(推定)
出土品 石棺、須恵器
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二塚古墳(ふたつかこふん)は、現在の宮城県仙台市太白区鹿野2丁目にあった古墳である。中期あるいは後期の前方後円墳で、20世紀の初めに石棺が見つかった。長さ20-30メートル。古墳は1949年に破壊され、現存しない。

概要

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仙台市中心部から南西にある大年寺山の南方の沖積平地に造られた。かつては約300メートル東に一塚古墳があり、東北に離れて兜塚古墳が現存する。地元では二塚あるいは二塚山と呼ばれていた。隆起が二つある前方後円墳としての特徴が名の由来と思われる[1]

石棺発見によって注目された当時、古墳がある場所は名取郡茂ヶ崎村に属していた。前方後円の形が明確で、前方部が西にあって一辺約9-11メートル、高さ約2メートルほど、後円部は東にあって直径約13メートル、高さ2.4メートルほどあった。また別に全長約29メートル、幅15メートルともいう[2]。石室・濠・階段などの跡はなかった。

石棺の発見については、1905年(明治38年)夏頃に村の青年が相撲の土俵を作るための土を取ろうとしたときに後円部から石棺を見つけた[3]1906年(明治39年)3月16日に偶然発掘された[4]、荒地になっていたこの地を開墾していた青木善吉という村人が掘り当てた[5]、と異なる伝えがある。いずれにせよ、1906年一塚古墳石棺発見に前後して確認されたものである。

内部を刳りぬいた凝灰岩の石棺で、蓋はなかったがそれらしき板状の石が他の場所で見つかったという[5]。寸法は報告によって異なり、長さ約2.3メートルあるいは2.4メートル、幅は約1メートルまたは約45センチメール、深さ30センチメートル余りまたは約24センチメートルであった[6]。 副葬品に須恵器が2個があった[7]

古墳の上には畑が作られ[8]、石棺は露出したまま1931年(昭和6年)頃にも放置されていた[9]1949年(昭和24年)に墳丘が崩され跡地が水田になった[10]。今では住宅地になり、古墳の痕跡はない。

脚注

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  1. ^ 伊東信雄「仙台市内の古代遺跡」55頁に「二塚山」。
  2. ^ 前者の数値は高野松次郎「仙台市付近茂ヶ崎にて発見せる古墳」87頁により、前方部5、6間の正方形、高1間余り、後円部直径約7間、高1間半とある。後者は布施千造「宮城県名取郡茂ヶ崎村古墳探見記」89頁。他に、笠井新也(「奥羽地方に於ける原史時代遺蹟の概観」318頁)による長さ約27間(約50メートル)という観察があるが、伊東信雄(「仙台市内の古代遺跡」57頁)は他の報告と比べ過大かもしれないとする。
  3. ^ 高野松次郎「仙台市付近茂ヶ崎にて発見せる古墳」、87頁。
  4. ^ 布施千造「宮城県名取郡茂ヶ崎村古墳探見記」。
  5. ^ a b 伊東信雄「仙台市内の古代遺跡」57頁。
  6. ^ 先のほうが布施千造「宮城県名取郡茂ヶ崎村古墳探見記」で、原文で長さ8尺余、幅3尺余、深1尺余とあるのをメートル法に換算した。笠井新也「奥羽地方に於ける原史時代遺蹟の概観」も長さ8尺、幅3尺許りとする。後のほうは高野松次郎「仙台市付近茂ヶ崎にて発見せる古墳」87-88頁により、長さ7尺5寸、幅1尺5寸、深約8寸。
  7. ^ 高野松次郎「仙台市付近茂ヶ崎にて発見せる古墳」88頁に「斎瓶二個」とある。斎瓶とは今いう須恵器である。布施千造「宮城県名取郡茂ヶ崎村古墳探見記」91頁に、「破れたる土器二個に土を充し収めありし」とある。
  8. ^ 笠井新也「奥羽地方に於ける原史時代遺蹟の概観」318頁。
  9. ^ 清水東四郎『宮城県通史』5頁。
  10. ^ 伊東信雄「仙台市内の古代遺跡」57頁。同「仙台市内の古墳」31頁に昭和24年とある。

参考文献

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  • 伊東信雄「仙台市内の古代遺跡」、仙台市史編纂委員会・編『仙台市史』3、別編1、仙台市役所、1950年。
  • 伊東信雄「仙台市の古墳」、『仙台郷土史の研究』、宝文堂、1979年。
  • 笠井新也「奥羽地方に於ける原史時代遺蹟の概観」、『考古学雑誌』第8巻第6号、1918年2月。
  • 清水東四郎『宮城県通史』、新約社書店、1931年。覆刻版が宝文堂により1976年。
  • 高野松次郎「仙台市付近茂ヶ崎にて発見せる古墳」、『考古界』第6篇第2号、1906年12月。
  • 布施千造「宮城県名取郡茂ヶ崎村古墳探見記」、『考古界』第6篇第2号、1906年12月。