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二子石官太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二子石 官太郎
生誕 1873年11月3日
大日本帝国 熊本県
死没 (1942-09-26) 1942年9月26日(68歳没)
大日本帝国 東京府
所属組織 大日本帝国陸軍
最終階級 陸軍中将
墓所 多磨霊園
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二子石 官太郎(ふたごいし かんたろう、1873年明治6年)11月3日[1] - 1942年昭和17年)9月26日)は、大日本帝国の軍人。陸軍士官学校7期、陸軍大学校19期。最終階級は陸軍中将。

経歴

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熊本県出身。明治29年5月27日に陸軍士官学校を卒業した(7期)。明治30年、少尉に昇進。その後陸軍大学校に入学し、日露戦争中の休学期間を挟んで明治40年11月30日に卒業(19期)。同期生には後に第36代内閣総理大臣となる阿部信行や、陸軍大臣文部大臣を歴任する荒木貞夫などがいる。

大正6年8月6日に大佐へ昇進。同時に歩兵第52連隊の連隊長に就いている。大正8年には第5師団参謀長となった。大正11年8月15日に少将へ昇進し、大正13年より歩兵第12旅団の旅団長を務めている。

昭和2年3月5日中将へ昇進し、東京湾要塞司令官に就任した。翌年より予備役編入。1937年4月12日に結成された国際反共連盟には評議員として参加している。1933年の明倫会結成時の理事に就任[2]

栄典

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脚注

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  1. ^ 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年、640頁。
  2. ^ 『朝日新聞記者の見た昭和史』中野五郎著
  3. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。

参考文献

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  • 鈴木 亨『帝国陸軍将軍総覧』秋田書店, 1990年
  • 太平洋戦争研究会『日本陸軍将官総覧』PHP研究所, 2010年