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二所ノ関軍右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

二所ノ関 軍右エ門(にしょのせき ぐんえもん、1760年宝暦10年〉[1] - 1823年3月17日文政6年2月5日〉)は、伊勢ノ海部屋及び柏戸部屋に所属した元力士[2]四賀峰東吉(元大関)は甥、娘婿に当たる。

本名は小田島 音藏。身長184cm、体重109kg。出身地は現在の岩手県北上市(旧・陸奥国和賀郡)。最高位は西大関南部藩抱えであった。

経歴・人物

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最初は南部相撲で相撲人生をスタートさせた。1783年3月に初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1786年3月東二段目6枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1789年11月場所、西十両筆頭で7勝1敗2分の優勝相当成績を挙げ、翌1790年3月場所で新入幕を果たした。そして、いきなりこの場所で8勝1敗の優勝次点(小野川喜三郎〈のちの第5代横綱〉が8勝1の成績で、優勝相当成績となった)の好成績を挙げ、幕内に定着することが出来た。その後1791年11月場所で6勝1敗1休1分1無,新小結となった翌1792年3月場所で8勝0敗1預1無の好成績を挙げているが、当時の幕内は小野川,谷風〈のちの第4代横綱〉の両横綱に史上最強力士と謳われた雷電爲右エ門(元大関)[3]がおり、しかも3人の全盛期に当たってしまった(尤も、谷風は1795年1月にインフルエンザで現役死しているが)ために幕内で優勝相当成績を挙げることは出来なかった。それでも、谷風と小野川が横綱免許を授与された時には、横綱伝授の介添役を務めた[1]

1796年10月場所で関脇に昇進。そして、1804年3月場所で雷電や他の雲州出身力士の不出場の恩恵を受け[1]、大関に昇進したが、大関での本場所の土俵に上がることは出来ず(9休)、1場所で関脇に陥落した。しかし幕内在位は17年の長きにも及び、1807年2月場所限りで引退した時は47歳になっていた。

現役末期の1806年11月場所より年寄二所ノ関を襲名し、二枚鑑札となっていた。後に、昭和時代に一時代を築く事になる二所ノ関部屋の開祖となった人物である。ただ二所ノ関が江戸所属の名跡になるのは幕末の頃で[1]、当時は南部相撲の名跡だった。南部相撲では小頭を務め、弟子育成にも熱心だったと伝わる。年寄在職中の1823年2月5日に死去。63歳だった。

幕内通算 24場所 70勝21敗14分2預6無104休の成績を残した(但し、江戸時代故、記録に散佚が見られる)。優勝相当成績1回(十両時代の1789年11月場所)。

改名歴は4回ある:瀧ノ上 → 瀧之上(1787年5月場所) → 瀧ノ上(1787年11月場所-) → 錦木(1788年11月場所-) → 二所ノ関 軍右エ門(1806年10月場所-)[2] この内、「錦木塚右エ門」は南部の名勝「錦木塚」に因んだと言われ、この四股名でも有名である。

場所別成績

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二所ノ関 軍右エ門
春場所 冬場所
1783年 幕下付出
 
西幕下11枚目
 
1784年 幕下
 
幕下
 
1785年 x x
1786年 東幕下6枚目
4–2
2分1無
 
西幕下3枚目
4–3
1預1無
 
1787年 西幕下4枚目

興行中止
 
西幕下2枚目
0–0 
1788年 西幕下2枚目
0–0 
西幕下3枚目
5–2
1預1無
 
1789年 西幕下3枚目
6–1 
西幕下筆頭
7–1 
1790年 西前頭5枚目
8–1 
西前頭2枚目
3–3
4分
 
1791年 西前頭2枚目
3–2–3
1分1無
 
西前頭2枚目
6–1–1
1分1無
 
1792年 西小結
8–0
1預1無
 
西前頭筆頭
2–0–1 
1793年 西前頭筆頭
4–0–5 
西前頭2枚目
3–2–2
2分1無
 
1794年 西前頭2枚目
0–0–10 
西前頭筆頭
2–1–5
1分1無
 
1795年 西小結
0–0–5 
番付非掲載
不出場
1796年 番付非掲載
不出場
西関脇
0–0–10 
1797年 西関脇
1–2–5
1分1無
 
番付非掲載
不出場
1798年 番付非掲載
不出場
番付非掲載
不出場
1799年 番付非掲載
不出場
番付非掲載
不出場
1800年 番付非掲載
不出場
東前頭筆頭
0–0–10 
1801年 番付非掲載
不出場
番付非掲載
不出場
1802年 番付非掲載
不出場
番付非掲載
不出場
1803年 西小結
4–1–1
1預
 
西小結
0–0–10 
1804年 西大関
0–0–9 
西小結
3–3–4 
1805年 西小結
6–2–2 
西小結
4–1–3
2分
 
1806年 西小結
0–0–5 
西小結
5–0–5 
1807年 西小結
引退
1–1–8
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • この成績表でテンプレートの仕様上「幕下」となっている部分は、番付表の上から二段目であるため、「二段目」と呼ぶ方が正確である。当時は段ごとに力士の地位を待遇差で区別する発想がまだ確立しておらず、二段目以下でも番付表で「前頭」(「同」表記でない)と書かれている部分までは「幕内格」と見るべきだという説がある。

出典

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  1. ^ a b c d 大関伝・88人目(錦木塚右エ門)
  2. ^ a b http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3140&l=j
  3. ^ ちなみに小野川,谷風,雷電の3人とも古今十傑に数えられている。

関連項目

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