二条保子
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二条 保子(にじょう やすこ、? - 享和3年4月26日(1803年6月15日))は、江戸時代中期の女性。一橋徳川家3代当主・徳川斉敦の御簾中(正室)。院号は靖安院。別名は脩君。
左大臣・二条治孝の娘として生まれる[1]。寛政10年(1798年)11月23日、一橋徳川家3代当主・徳川斉敦の正室となる[2]。
享和3年4月24日(1803年6月13日)に長男の備千代を出産するが、その2日後の4月26日(6月15日)に死去した[3]。
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