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二条為藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
二条為藤
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 建治元年(1275年
死没 元亨4年7月17日1324年8月7日[1]
官位 正二位中納言
氏族 御子左家
父母 父:二条為世、母:賀茂氏久
兄弟 為道為藤為宗為躬為冬為子尊治親王(後の後醍醐天皇)妃)、昭訓門院春日局西園寺実衡室)、室町院大納言局、娘(藤原兼信室)
為明、為清、為忠
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二条 為藤(にじょう ためふじ)は、鎌倉時代公卿歌人

二条為世の次男。歌人として『続後拾遺和歌集』の選者となったが、完成前に死去した。

官歴

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公卿補任』による。

  • 弘安9年(1286年)1月5日 - 従五位
  • 正応2年(1289年)7月16日 - 侍従
  • 正応3年(1290年)6月18日 - 従五位上
  • 正応6年/永仁元年(1293年)
  • 永仁2年(1294年)
    • 7月2日 - 従四位
    • 12月24日 - 左近衛少将に再任
  • 永仁6年(1298年)
    • 11月14日 - 丹波介を兼ねる
    • 11月19日 - 従四位上
  • 永仁7年(1299年)4月12日 - 左近衛中将
  • 正安2年(1300年)1月5日 - 正四位
  • 徳治2年(1307年)4月3日 - 右兵衛督蔵人頭
  • 延慶元年(1308年)
  • 応長元年(1311年)3月30日 - 駿河権守を兼ねる
  • 正和2年(1313年)8月7日 - 参議を辞任
  • 文保元年(1317年)
  • 文保2年(1318年)
    • 3月22日 - 従二位
    • 8月2日 - 侍従を兼ねる
  • 元亨元年(1321年)1月5日 - 正二位
  • 元亨4年(1324年)
    • 月日不詳 - 中納言
    • 7月17日 - 死去

系譜

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  • 父:二条為世(1250-1338)
  • 母:賀茂氏久娘
  • 妻:吉田経長
  • 生母不明の子女
    • 男子:二条為清
    • 男子:二条為忠

脚注

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  1. ^ 日本人名大辞典+Plus,朝日日本歴史人物事典, デジタル版. “二条為藤とは”. コトバンク. 2020年11月6日閲覧。