二郭一荘
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二郭一荘(にかくいっそう、中国語: 二郭一莊)とは、日本プロ野球で活躍した郭源治、郭泰源、荘勝雄の3人の台湾出身投手を指す総称として、1980年代後半に用いられたことばである。
中華職業棒球大聯盟の成立する以前から日本球界で成功を収め、日本における台湾人プロ野球選手のパイオニアとなり、台湾では国民的英雄と並び称された[1]。郭源治と荘は日本に帰化した[1][2]。1988年に呂明賜が一時的に活躍すると、二郭一荘呂という言い方もされた[3]。
2019年から2020年にかけ、台湾の野球殿堂、台湾棒球名人堂に3名とも選出された[4][5]。
- 郭源治
- 1981年、中日ドラゴンズに入団。先発と抑えを往来しつつ、日本球界では史上5人目となる100勝100セーブを記録した。2013年-2014年に中華職業棒球大聯盟の首席顧問を務めた[1][6]。
- 郭泰源
- 1985年、西武ライオンズに入団。最速158km/hの快速球で「オリエンタル・エクスプレス」の異名を取った。通算117勝は外国人枠が確立されて以降の外国人選手として最多である。後に野球台湾代表監督、2013年・2014年には福岡ソフトバンクホークスの一軍投手コーチに就任した。現在富邦ガーディアンズ顧問。
- 荘勝雄
- 1985年、ロッテ・オリオンズに入団。先発にリリーフに、1980年代後半のロッテの主力投手として活躍。4年半での50勝到達は二郭より早く、台湾選手として最短[5]。引退後も日本に残り、千葉ロッテマリーンズでコーチを10年以上にわたって務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c “郭源治さん台湾プロ野球の首席顧問に « 台湾新聞 BLOG”. 台湾新聞社 (2012年12月30日). 2014年7月23日閲覧。
- ^ a b “【1月13日】1989年(平元) “郭差”つけるな!荘勝雄、いまだ未更改 大台譲れない”. 日めくりプロ野球10年1月. スポニチ Sponichi Annex (2010年1月13日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月23日閲覧。
- ^ “呂明賜(ロ・メイシ)外野手”. 時事ドットコム. 「助っ人WBC」特集. 2022年11月28日閲覧。
- ^ “元中日の郭源治氏、台湾野球殿堂入り 日本時代末期に活躍した洪太山氏も”. フォーカス台湾. 中央通訊社 (2019年1月22日). 2022年11月28日閲覧。
- ^ a b “台湾野球名人堂、今年4名殿堂入り果たす”. Taiwan Today. 中華民国(台湾)外交部 (2020年8月5日). 2022年11月28日閲覧。
- ^ アジア・シリーズ中止危機 台湾側から連絡「開催できない可能性」 - スポーツニッポン、2014年9月2日