二階堂三郎左衛門
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二階堂三郎左衛門 にかいどう さぶろうざえもん | |
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生年月日 | 1867年1月28日 |
出生地 |
日本 安芸国佐伯郡大竹村 (現・広島県大竹市) |
没年月日 | 1944年4月16日(77歳没) |
前職 |
日本紙業取締役 (現・日本製紙) |
在任期間 | 1918年5月3日 - 1925年9月28日 |
二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年1月28日(慶応2年12月23日) - 1944年(昭和19年)4月16日[1])は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。前名は熊七郎[2][3]。
経歴
[編集]安芸広島藩領佐伯郡大竹村(現・大竹市)出身[2][3]。望戸清四郎の長男として生まれ、先代二階堂三郎左衛門寿光の養嗣子となり、襲名する[2][3]。1890年(明治23年)25歳にして大竹郵便局長となる[4]。ついで大竹町油見村組合会議員[4]、大竹貯蓄銀行頭取、芸防抄紙社長[2]、広島県農工銀行、日本紙業各取締役などを経て[3]、広島県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1918年(大正7年)5月3日から[5]1925年(大正14年)9月28日まで務めた[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 207頁.
- ^ a b c d e 人事興信所 1915, に1頁.
- ^ a b c d 人事興信所 1928, ニ1頁.
- ^ a b 東洋新報社 1917, 841頁.
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
- ^ 人事興信所 1915, は50頁.
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 東洋新報社 編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。