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二階堂三郎左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二階堂三郎左衛門
にかいどう さぶろうざえもん
生年月日 1867年1月28日
出生地 日本の旗 日本 安芸国佐伯郡大竹村
(現・広島県大竹市
没年月日 (1944-04-16) 1944年4月16日(77歳没)
前職 日本紙業取締役
(現・日本製紙

在任期間 1918年5月3日 - 1925年9月28日
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二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年1月28日慶応2年12月23日) - 1944年昭和19年)4月16日[1])は、明治から大正時代の政治家実業家銀行家貴族院多額納税者議員。前名は熊七郎[2][3]

経歴

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安芸広島藩佐伯郡大竹村(現・大竹市)出身[2][3]。望戸清四郎の長男として生まれ、先代二階堂三郎左衛門寿光の養嗣子となり、襲名する[2][3]1890年(明治23年)25歳にして大竹郵便局長となる[4]。ついで大竹町油見村組合会議員[4]、大竹貯蓄銀行頭取、芸防抄紙社長[2]、広島県農工銀行、日本紙業各取締役などを経て[3]、広島県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1918年(大正7年)5月3日から[5]1925年(大正14年)9月28日まで務めた[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 207頁.
  2. ^ a b c d e 人事興信所 1915, に1頁.
  3. ^ a b c d 人事興信所 1928, ニ1頁.
  4. ^ a b 東洋新報社 1917, 841頁.
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
  6. ^ 人事興信所 1915, は50頁.

参考文献

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