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井上博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 博
出生名 井上 博
生誕 1947年7月27日
出身地 日本の旗 日本 京都府京都市北区紫竹西高縄町
死没 (1970-03-31) 1970年3月31日(23歳没)
学歴 同志社大学工学部
ジャンル フォークソング
職業 シンガーソングライター
ベーシスト
担当楽器 ボーカル
ベース
ギター
活動期間 1968年 - 1970年
共同作業者 ザ・ヴァニティー
はしだのりひことシューベルツ

井上 博(いのうえ ひろし、1947年7月27日 - 1970年3月31日[1])は、日本シンガーソングライターベーシストであり、はしだのりひことシューベルツの元メンバーとしても知られる。

京都府京都市北区紫竹西高縄町出身[1]同志社大学工学部に在学していた。身長176cm。特技はスポーツ(ヨット水泳スキー柔道サッカー[2]

来歴

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アマチュア時代

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同志社大学在学中、1967年2月に、石塚成孝、後にはしだのりひことシューベルツのメンバーとなる越智友嗣と共にフォークグループ「ザ・ヴァニティー」結成。1968年9月に、コロムビアから「愛に吹く風」でデビュー。

1968年8月、京都での第3回関西フォークキャンプに参加する。同年4月、東芝レコードから「あなただけに」(杉田二郎作詞・作曲)でソロデビューしていた杉田二郎(当時、第1次ジローズとして活動)と一緒に同曲を歌った[3]

はしだのりひことシューベルツ

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ザ・フォーク・クルセダーズの解散に先駆けて、端田宣彦(はしだのりひこ)がザ・ヴァニティーの越智友嗣と井上、ジローズの杉田二郎を呼び寄せて結成された。1969年1月、シングル『風/何もいわずに』を発表し、大ヒットする。また、自身が作曲した『風の天使』や『夢の女』『6月6日の夢』などでは、メインボーカルをつとめた。

女性ファンが多く、シューベルツのメンバーの中では最も人気が高かったが、1969年12月頃から体調を崩して入退院を繰り返すようになり、1970年3月31日午前1時55分、慢性腎炎肺水腫の併発症のため、済生会京都府病院で急逝した[1]。満23歳没(満21歳説もあり[4])。墓所は東京都郊外にある。井上の死後、シューベルツは同年6月に福岡県北九州市で行われた公演を最後に解散した[4]

脚注

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  1. ^ a b c 『読売新聞』昭和45年4月1日付。
  2. ^ ザ・フォーク・クルセダーズ/『紀元貮阡年』デラックス・エディション(2013.12.18)より、ファンクラブ会報誌(全6号)52頁原寸大復刻,47頁。TYCN-89001
  3. ^ 「1968京都フォーク・キャンプ」(1998年6月、東芝EMI)収録曲リスト
  4. ^ a b 『読売新聞』昭和45年4月16日付。

関連項目

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