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井上啓次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井上 啓次郎(いのうえ けいじろう、1911年1月30日 - 1989年4月16日[1])は、日本科学技術官僚工学博士。第4代科学技術事務次官。第6代日本科学技術連盟理事長。

人物・経歴

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三重県出身[1]。1936年東京工業大学(のちの東京科学大学電気化学科卒業[2]。1954年「活性炭の製造並びに性状に関する研究」により東京工業大学工学博士の学位を取得[3]

技術院参技官[4]科学技術庁原子力局科学調査官[5]、科学技術庁原子力局次長等を経て、1962年科学技術庁資源局長[6]。1963年に日本原子力船開発事業団が設立されると、原子炉担当理事に就任し、むつの基本設計を行った[7]

1964年から1968年まで科学技術事務次官を務め[8]東海再処理施設の建設問題への対応を行うなどした[9]。退官後、1969年日本科学技術連盟専務理事。1970年日本科学技術連盟理事長[10]

1981年日本原子力船研究開発事業団理事長[7]。1983年宇宙開発委員会委員[11]未踏科学技術協会副理事長等も務めた[12]。1986年勲二等旭日重光章受章[13]。1989年、心筋梗塞のため死去し[1]正四位に叙された[14]

また未踏科学技術協会内に科学技術政策史研究会を設立し、死後1990年に『日本の科学技術政策史』が刊行された[15]

著書

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  • 『石油から生れたわたしは合成紙』日刊工業新聞社 1969年
  • 『特許戦略実用便覧』ラテイス 1974年
  • 『データの図典』ラテイス 1980年
  • 『原子力船「むつ」 : 開発記録』東洋社 1986年
  • 『技術新天地を行く : 井上啓次郎自叙伝』未踏科学技術協会 1992年

脚註

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  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.80
  2. ^ 「東京工業大学百年記念館設立30年記念誌」東京工業大学
  3. ^ 東京工業大学 , 工学博士 , [報告番号不明] , 1954-12-23
  4. ^ 雑誌『科学主義工業』執筆者一覧(ア行)立命館大学
  5. ^ ジュネーブ会議論文選考委員会原子力委員会
  6. ^ 官報昭和37年本紙第10809号 831頁
  7. ^ a b 随感原子力委員会
  8. ^ 「歴代文部科学事務次官」文部科学省
  9. ^ 原子力産業新聞昭和43年11月7日一般社団法人 日本原子力産業協会
  10. ^ 「創立 70 周年 20067年~2015年の日科技連 0記念史」日本科学技術連盟
  11. ^ F本会議の審議概要 -]参議院
  12. ^ 10501 井上啓次郎共同通信
  13. ^ 原子力産業新聞昭和61年11月6日一般社団法人 日本原子力産業協会
  14. ^ 官報平成1年本紙第93号 8頁
  15. ^ 科学技術庁科学技術政策研究所, 菊池博之, 平野千博『科学技術政策用語英訳集』科学技術庁科学技術政策研究所〈科学技術政策研究所調査研究資料〉、1991年。hdl:11035/766https://hdl.handle.net/11035/766 
先代
黒澤俊一
科学技術庁資源局長
第3代:1962年 - 1963年
次代
村田浩
先代
久田太郎
科学技術事務次官
第4代:1964年 - 1968年
次代
藤波恒雄
先代
久留島秀三郎
日本科学技術連盟理事長
第6代:1970年 - 1973年
次代
鈴江康平
先代
野村一彦
日本原子力船研究開発事業団理事長
第5代:1981年 - 1985年
次代
日本原子力研究所に統合