井上好三郎
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井上好三郎(いのうえ こうざぶろう、1881年(明治14年) - 1943年(昭和18年))は日本の商人、実業家。井上好三郎商店(現:井上鋲螺工業株式会社)創業者。滋賀県甲賀市水口町出身。
略歴
[編集]- 1881年(明治14年) - 滋賀県甲賀郡水口に守田藤吉の次男、守田好三郎として生まれる[1]。
- 1896年(明治29年)頃 - 大阪の金物商、林音吉商店に入店する[1]。後に井上家の養子となり、井上姓を名乗る[2]。
- 1905年(明治38年) - 大阪市西区立売堀(いたちぼり)で商号を「井上好三郎商店(井上鋲螺工業株式会社の前身)」として創業[1][2]。林音吉商店の取り扱う商品の内、螺旋鋲がもっとも儲からないため、「一番儲らぬ商売なら競争相手も少かろう」との判断で螺旋釘・鋲類を販売した[3][1]。この地域の機械工具商の草分けであった[3]。
- 1927年(昭和2年) - 学資金の寄付など社会事業に努める。紺綬褒章を受章する[1]。
- 1928年(昭和3年) - ヴォーリズ建築事務所の設計による、水口町立水口図書館(旧水口図書館)の建設費として金1万1千円を寄付[1][4]。同年秋に竣工する[4]。
- 1932年(昭和7年)- 株式会社尼崎製鋼所(戦後、神戸製鋼所の前身となる)の主要設立メンバーとして、出資金20万円の半分以上を出資。設立筆頭株主及び取締役となった[2]。
- 1937年(昭和12年) - 株式会社尼崎製鉄所の4人の設立メンバーの一人。1/4を出資(他は久保田鉄鋼等)。
- 1938年(昭和13年) - 大阪鋲螺卸商業組合の初代会長となる[5]。
- 1943年(昭和18年) - 病没する[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 近江と人物 : 写真画帖. 刈穂の巻. 近江人協会. (1935-01-01). doi:10.11501/1112179
- ^ a b c d 近藤淳「東アジア ネジ産業研究-日本・台湾・中国 基盤技術産業の発展と競争」2015年11月24日, 京都大学学位論文, P.41-45, DOI 10.14989/doctor.k19356
- ^ a b 沢井実「戦前大阪の機械工業集積:構造と展開」『企業家研究』第11巻、2014年7月、47-48頁。
- ^ a b “旧水口図書館 故郷への熱い思い 井上好三郎氏(1881~ 1943)”. 旧水口図書館. 稚木の会. 2020年5月27日閲覧。
- ^ “組合紹介 - 大鋲協”. www.daibyokyo.com. 大阪鋲螺卸商協同組合. 2020年6月13日閲覧。