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井上淳一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いのうえ じゅんいち
井上 淳一
生年月日 (1965-07-12) 1965年7月12日(59歳)
出生地 日本の旗 日本 愛知県犬山市
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画オリジナルビデオテレビドラマ
主な作品
止められるか、俺たちを
REVOLUTION+1
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井上 淳一(いのうえ じゅんいち、1965年7月12日 - [1])は、愛知県犬山市出身の映画監督脚本家[2]若松孝二が代表を務めた若松プロダクション出身であり、「社会派」の監督・脚本家とされる[3]

経歴

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1965年7月12日、愛知県犬山市に生まれた[4][5][6]犬山市立羽黒小学校[7]犬山市立南部中学校[7]滝高等学校[7]卒業。高校時代から若松孝二の映画を観たり自伝を読むなどして、若松プロダクションへの入社を希望していた[4]。浪人中の予備校時代には名古屋市のミニシアターであるシネマスコーレに通い詰めており[6]、映画監督の若松孝二がシネマスコーレに舞台挨拶で訪れた際には、東京に帰る若松と一緒に東海道新幹線に飛び乗ってしまったことがあるという[4]

早稲田大学第二文学部進学と同時に若松プロに入り、助監督として勉強を積んだ[4]。1990年には『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』「第1話 彼女の本当が知りたくて」で監督デビューした。2013年には初の長編監督作品『戦争と一人の女』を撮ったが[8]、この作品は製作費1,200万円という低予算であり、撮影日数はわずか10日間だった[9]

2019年には安倍内閣下で進められた改憲に抵抗する主旨のドキュメンタリー映画『誰がために憲法はある』を監督した[10]。2020年以後のコロナ禍の際には、荒井晴彦森達也白石和彌らとともにミニシアター応援団体「勝手にしゃべりやがれ!」を結成し、各地のミニシアターに出向いてトークショーなどを行った[11]。2021年6月には小学館から「勝手にしゃべりやがれ!」のトークを収録した新書『映画評論家への逆襲』が発売された[12]

2024年2月には映画『福田村事件』の製作が評価され、エランドール賞 プロデューサー賞 奨励賞を受賞した[13]

フィルモグラフィー

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監督

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脚本

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出演

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脚注

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  1. ^ キャスト&スタッフ アジアの純真 ドッグシュガー
  2. ^ 映画『戦争と一人の女』公開記念 井上淳一監督インタビュー Rooftop、2013年4月26日
  3. ^ 映画監督 脚本家 井上淳一さん 極め人 CUE、2018年8月10日
  4. ^ a b c d 井上淳一 ドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」監督 中日新聞、2019年9月20日
  5. ^ 中川運河舞台に映画製作 永瀬正敏さん、原案・主演で 中日新聞、2014年1月15日
  6. ^ a b シネマスコーレで映画「大地を受け継ぐ」 愛知出身、井上淳一監督が来名 名駅経済新聞、2016年2月23日
  7. ^ a b c 犬山出身映画監督、井上淳一さんスペシャル! アイデア総合企画、2013年5月1日
  8. ^ 江口のりこ、過激な問題作出演に懸念は「全然なかった」 会場からは拍手 映画.com、2013年4月25日
  9. ^ 安吾の戦争観を映画に YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2013年8月10日
  10. ^ 映画監督 井上淳一さん(53) 改憲の動き、映像で抵抗 毎日新聞、2019年6月26日
  11. ^ ミニシアター「勝手に応援」 高松で映画監督ら5人 朝日新聞、2020年11月13日
  12. ^ 荒井晴彦×森達也×白石和彌×井上淳一のトークが活字化、発売記念イベントも開催 映画ナタリー、2021年5月28日
  13. ^ THE FIRST SLAM DUNK:エランドール賞特別賞に “宮城リョータ”仲村宗悟「何年もかけて思いを紡いでくださった作品」”. MANTANWEB. MANTAN (2024年2月8日). 2024年2月8日閲覧。
  14. ^ XXXX容疑者を演じた〝30歳俳優〟の覚悟 安倍氏国葬に合わせて劇場公開 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb (2022年9月17日). 2022年9月20日閲覧。

外部リンク

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