コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

井上清治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井上 清治(いのうえ せいじ[1] / きよはる[要出典]1844年11月5日(弘化元年9月25日[2][3])- 1913年大正2年)1月12日[2][1])は、明治から大正初期の大地主政治家実業家貴族院多額納税者議員。号・松龍[2]、勲四等[要出典]

経歴

[編集]

越中国婦負郡御門村(富山県婦負郡速星村婦中町を経て現富山市婦中町速星)で、井上清六の二男として生まれ、豪農の井上家26代・井上清治の養子となり、家督を相続して清治を襲名し27代当主となる[2][3][4]

1884年(明治17年)婦負郡中名村ほか37ヵ村戸長に就任し、以後、同郡学務委員、速星村会議員、婦負郡会議員などを務めた[1]

1903年(明治36年)補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、同年5月5日[5][6]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[1][2]

農事の改良などに尽力し、第四十七国立銀行取締役、第四十七銀行取締役、富山北陸生命保険監査役、日本赤十字社有功特別社員などを務めた[1][2][3][4]

親族

[編集]
  • 妻 井上みつ(養父長女、愛国婦人会幹事)[3][4]
  • 息子 井上清孝(速星村長)[要出典]
  • 井上清一(京都市長、参議院議員、内閣官房副長官)[要出典]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』185頁。
  2. ^ a b c d e f 『富山大百科事典 上巻』133頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第3版』い26頁。
  4. ^ a b c 『中越明覧』156-157頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、12頁。
  6. ^ 『官報』第5950号、明治36年5月6日。

参考文献

[編集]
  • 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
  • 藤田天民編『中越明覧』遠藤新聞舗、1905年。