井上策雲因碩
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井上策雲因碩(いのうえ さくうんいんせき、1672年(寛文12年) - 1735年(享保20年)3月)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家5世井上因碩。元の名は三崎策雲。越前国出身、本因坊道策門下、八段準名人。
(井上家相続時は4世であったが、後の家系書き換えに基づき5世とする)
経歴
[編集]道策門下だったが、1702年(元禄15年)に4世井上道節因碩の養子となって井上因節を名乗り、御城碁に出仕する。1719年(享保4年)に道節死去により、井上家家督を継いで5世井上因碩となり、続いて上手(七段)へ進む。1721年(享保6年)には安井仙角、林朴入門入とともに本因坊道知の名人碁所就位を出願し、道知就位にともない仙角、門入とともに準名人(八段)に進む。同年井上友碩を跡目とし、翌年から御城碁に出仕させるが、1726年(享保11年)に友碩が没したため、翌年門下の伊藤春碩を再跡目とする。1734年(享保19年)に退隠して春碩に家督を譲り、翌年没。御城碁は28局を勤めた。
御城碁戦績
[編集]- 1702年(元禄15年)先番1目負 安井仙角
- 1703年(元禄16年)白番4目勝 林玄悦門入
- 1704年(宝永元年)白番14目負 安井仙角
- 1705年(宝永2年)白番3目負 林因竹
- 1706年(宝永3年)先番4目勝 林朴入門入
- 1707年(宝永4年)白番6目負 本因坊道知
- 1708年(宝永5年)先番2目勝 本因坊道知
- 1709年(宝永6年)先番4目勝 林朴入門入
- 1710年(宝永7年)白番3目負 林朴入門入
- 1711年(正徳元年)先番3目勝 安井仙角
- 1712年(正徳2年)白番3目負 安井仙角
- 1713年(正徳3年)白番5目負 本因坊道知
- 1714年(正徳4年)先番3目勝 本因坊道知
- 1715年(正徳5年)先番3目負 林朴入門入
- 1716年(享保元年)白番3目負 林朴入門入
- 1717年(享保2年)白番5目負 本因坊道知
- 1719年(享保4年)白番3目負 安井仙角
- 1720年(享保5年)先番ジゴ 本因坊道知
- 1721年(享保6年)白番3目負 林因長
- 1722年(享保7年)向三子6目負 本因坊知伯
- 1723年(享保8年)白番ジゴ 林因長
- 1724年(享保9年)先番3目勝 安井仙角
- 1725年(享保10年)白番3目負 林朴入門入
- 1726年(享保11年)白番ジゴ 本因坊知伯
- 1727年(享保12年)白番3目負 安井知仙
- 1729年(享保14年)先番5目勝 林因長門入
- 1730年(享保15年)白番4目負 安井仙角
- 1732年(享保17年)白番3目負 林因長門入
参考文献
[編集]- 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年[要ページ番号]