コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

仁尾惟茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仁尾惟茂

仁尾 惟茂(にお これしげ、嘉永5年12月28日[1]1853年2月6日) - 昭和7年(1932年4月11日[2])は、貴族院勅選議員大蔵官僚錦鶏間祗候[3]

経歴

[編集]

土佐藩士仁尾宗直の子として生まれた。安岡良亮の門に学んだ後、戊辰戦争に従軍した。1872年明治5年)より熊本県に出仕したが、1876年(明治9年)に神風連の乱に遭い、戦いで負傷した。後に福岡県に転じ、福岡収税長に進み、1887年(明治20年)からは大蔵省参事官を兼ねた。

日清戦争がおきると、李氏朝鮮に度支部顧問として派遣され[4]、財政改革にあたった。帰国後は専売事業を手掛け、専売局長、煙草専売局長、煙草専売局長官[5]専売局長官[6]を歴任した。

1907年(明治40年)に退官し[7]、同年12月10日、貴族院議員に勅選され[8][9]、死去するまで在任した[10]1916年(大正5年)3月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられる[11]

栄典

[編集]
位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

[編集]
  1. ^ 『大正人名辞典』P.1269
  2. ^ 『官報』第1585号、昭和7年4月14日
  3. ^ 『官報』第1586号、昭和7年4月15日
  4. ^ 『官報』第3440号、明治27年12月14日
  5. ^ 『官報』第6275号、明治37年6月2日
  6. ^ 『官報』第7279号、明治40年10月2日
  7. ^ 『官報』第7342号、明治40年12月17日
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、17頁。
  9. ^ 『官報』第7337号、明治40年12月11日
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  11. ^ 『官報』第1094号、大正5年3月28日。
  12. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  13. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  14. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  15. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
  16. ^ 元帥海軍大将子爵伊東祐亨外四十六名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112637600 

参考文献

[編集]
  • 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。