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仁志田昇司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仁志田 昇司
にしだ しょうじ
2016年1月
生年月日 (1944-08-07) 1944年8月7日(80歳)
出生地 福島県保原町(現・伊達市
出身校 東京大学工学部精密機械科
所属政党 無所属
称号 旭日小綬章

当選回数 3回
在任期間 2006年2月12日 - 2018年2月11日

当選回数 2回
在任期間 2001年8月27日 - 2005年12月31日
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仁志田 昇司(にしだ しょうじ、1944年昭和19年)8月7日[1] - )は、日本政治家。元福島県伊達市長(3期)、元保原町長(2期)。

来歴

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福島県保原町(現・伊達市)出身。保原町立保原小学校(現・伊達市立保原小学校)卒業後、保原町立保原中学校(現・伊達市立松陽中学校)に入学。1958年(昭和33年)4月、仙台市立五橋中学校に転入。東京学芸大学附属高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、東京大学工学部精密機械科卒業。同年4月、日本国有鉄道に就職。1987年(昭和62年)4月、JR東日本に入社。

1991年(平成3年)同社大井工場(現・東京総合車両センター)の工場長となる。1994年(平成6年)同社仙台総合車両所(現・新幹線総合車両センター)の所長となる。

その後、1997年(平成9年)に同社グループ会社のJR東日本レンタリース株式会社の代表取締役社長に就任した[2]

2000年(平成12年)夏、帰省した折に恩師に「君、この町(保原町)の町長をやってくれないか」と言われたことが政治家を目指すきっかけとなる[3]

2001年(平成13年)7月29日執行の保原町長選挙に出馬し、初当選。同年8月27日に町長に就任[4]2005年(平成17年)8月、同町長選挙に2期目の当選。

2006年(平成18年)1月1日、 伊達町梁川町保原町霊山町月舘町が合併して伊達市が誕生する。これに伴って実施された伊達市長選挙(同年2月5日公示、2月12日投開票)に無所属で出馬し、無投票で当選。

2010年(平成22年)1月24日執行の伊達市長選挙に出馬。元伊達町長の冨田健一郎、元梁川町議会議員の橘典雄ら2人の候補者を接戦の末に破り、2期目の当選を果たす。得票数は、仁志田:17,390票、冨田:17,112票、橘:1,312票。投票率は、65.30%だった。

2013年(平成25年)5月26日、任期満了に伴う市長選に立候補する意向を示し[5]2014年(平成26年)、前市議の高橋一由ら3候補を破り3選した[6]

2018年(平成30年)1月28日執行の市長選挙で元福島県庁職員の須田博行に敗れ、落選[7]

2019年旭日小綬章受章[8]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、64頁。
  2. ^ プロフィール仁志田 昇司 公式ホームページ
  3. ^ 町長を目指すきっかけ仁志田昇司 倉庫:7月28日までの記録
  4. ^ 町長日誌仁志田 昇司 公式ホームページ
  5. ^ “仁志田氏3選出馬へ 伊達市長選、市政報告会で意向”. 福島民報. (2013年5月27日). http://www.minpo.jp/news/detail/201305278653 2013年6月5日閲覧。 
  6. ^ “伊達市長に現職・仁志田氏 新人・3氏に勝利、3選果たす”. 福島民報. (2014年1月26日). http://www.minyu-net.com/osusume/senkyo/2014news/140126/news5.html 2018年1月18日閲覧。 
  7. ^ “伊達市長に新人・須田氏 現職ら4人抑え初当選”. 福島民報. (2018年1月29日). http://www.minyu-net.com/news/senkyo/FM20180129-239298.php 2018年1月29日閲覧。 
  8. ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日

外部リンク

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