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仁木多鶴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にき たづこ
仁木 多鶴子
本名 鶴田 和子
生年月日 (1939-01-03) 1939年1月3日
没年月日 (1983-09-12) 1983年9月12日(44歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府
職業 女優
活動期間 1957年 - 1983年
配偶者 小野正一
事務所 大映
主な作品
猫は知っていた
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仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983年9月12日)は、日本の女優。本名は鶴田和子。

来歴

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東京府(現東京都)出身。国立音楽大学附属中学校、国立音楽大学附属高等学校を経て、国立音楽大学を中退後、1957年に大映に入社した。映画『猫は知っていた』に主演したのをきっかけに、仁木多鶴子と改名した[1]

人気絶頂期に、通算2244奪三振を記録した球史に残るプロ野球投手の小野正一(1933年9月30日 - 2003年3月19日)と結婚した[1]

1983年9月12日、クモ膜下出血で倒れ44歳で他界した[1][2]

主な出演作品

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映画

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  • 十七才の断崖(1957年、大映
  • 母(1958年、大映)
  • 白いジープのパトロール(1958年、大映)
  • 猫は知っていた(1958年、大映)
  • 俺たちは狂ってない(1958年、大映)
  • 素っ裸の青春(1958年、大映)
  • 母の旅路(1958年、大映)
  • 夜の素顔(1958年、大映)
  • 娘の冒険(1958年、大映)
  • 軍国酒場(1958年、大映)
  • 男十九の渡り鳥(1958年、大映)
  • 海軍兵学校物語 あゝ江田島(1959年、大映) - 田口由美子
  • たそがれの東京タワー(1959年、大映)
  • 一刀斎は背番号6(1959年、大映)
  • 代診日記(1959年、大映)
  • 電話は夕方に鳴る(1959年、大映)
  • 貴族の階段(1959年、大映)
  • 風来物語 仁侠篇(1959年、大映)
  • 初春狸御殿(1959年、大映、DVD発売)
  • 濡れ髪喧嘩旅(1960年、大映、DVD発売)
  • 銭形平次捕物控 美人蜘蛛(1960年、大映)
  • お嬢さん三度笠(1960年、大映)
  • 犯罪6号地(1960年、大映)
  • 東海道ちゃっきり娘(1960年、大映)
  • 銀座のどら猫(1960年、大映)
  • 風来物語 あばれ飛車(1960年、大映)
  • お嬢さん(1961年、大映)
  • 女は二度生まれる(1961年、大映、DVD発売)
  • 雑婚時代(1961年、大映)
  • 幼馴染というだけさ(1961年、大映)
  • 強くなる男(1961年、大映)
  • 雪の降る街に(1962年、大映)
  • 御身(1962年、大映)
  • 禁断(1962年、大映)
  • 女が愛して憎むとき(1963年、大映)
  • この道赤信号(1964年、大映)
  • 黒の凶器(1964年、大映)
  • 陸軍中野学校(1966年、大映、DVD発売)
  • にせ刑事(1967年、大映)
  • セックス・チェック 第二の性(1968年、大映、DVD発売)

テレビドラマ

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  • 図々しい奴(1963年、TBS)
  • 佐渡の恋唄(1963年、NHK)
  • 道頓堀(1968年、読売テレビ)
  • 七人の刑事(1968年、TBS)
  • 特別機動捜査隊(NET(現・テレビ朝日))
    • 第325回「金色の天使の矢」(1968年)
    • 第342回「女と宝石」(1968年)
    • 第378回「美しき鷹」(1969年)

脚注

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  1. ^ a b c 『日本映画人名事典 女優編』下巻(キネマ旬報社) P306
  2. ^ 『週刊宝石』1983年10月7日号 P230「44才の若さでクモ膜下出血に!小野正一氏(元、球界のエース)が愛妻・仁木多鶴子さん(元・女優)を喪うまでの23年」

関連項目

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