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仁木民部少輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

仁木 民部少輔(にき みんぶのしょうゆう、実名不詳、生没年不詳)は、戦国時代武将政長の子か。兄に伊賀守護仁木刑部大輔伊賀仁木氏。通称、民部少輔、七郎。御供衆

概略

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伊賀守護である政長の息子と推測されている。『後法成寺関白記』に現れてくる仁木七郎と同日人物と見られており、享禄元年(1528年)から享禄4年(1531年)の間に民部少輔を名乗る。

大永4年(1524年)に狭川氏攻略を目指し、古市氏らと共に山城国相楽郡笠置寺へ打入るも、狭川氏自身の采配によって散々に破られている。

天文10年(1541年)に相伴衆となり、天文14年(1545年)には御供衆として将軍に供奉している。以降の消息は知れない。

参考文献

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  • 稲本紀昭「伊賀国守護と仁木氏(附録、伊賀国守護幷仁木氏関係史料)」『三重大学教育学部研究紀要 人文・社会学科』38号(1987年)

関連項目

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