今尾登
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今尾 登(いまお のぼる、1899年(明治32年)8月7日[1] - 1970年(昭和45年)12月18日[2])は、昭和期のジャーナリスト、教育者、政治家。衆議院議員、法学博士[2]。旧姓・小林。
経歴
[編集]兵庫県[3][注釈 1]加東郡河合村[1](現小野市)で、小林兵太郎の6男として生まれ[1]、京都府の画家・今尾政之助の養子となる[1]。1924年(大正13年)同志社大学法学部政治学科を卒業した[1][2][3][4]。
大阪毎日新聞社に入社[1][3]。その後、渡米しコロンビア大学で学んだ[1][3][4]。帰国後、大阪毎日新聞本社、京城支局、大連支局、京都支局で勤務[1][3]。東京日日新聞社に転じ、政治部副部長、事業課長、講演課長、横浜支局長、編輯局参事などを歴任[1][3]。従軍記者として済南事件、満州事変、日中戦争(支那事変)を取材し[1][3]戦傷も受けた[3]。大日本相撲協会(現日本相撲協会)顧問も務めた[1][2][3]。
1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に京都府第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬して当選[1][4][5]。戦後、日本進歩党に所属して、衆議院議員に1期在任[2]。この間、商工省委員、翼賛政治会政調幹事、外務委員、事務局参与などを務めた[2][3]。その後、公職追放となった[6]
その後、京都女子大学教授[2]、京都外国語大学教授[4]を務めた。
国政選挙歴
[編集]- 第21回衆議院議員総選挙(京都府第1区、1942年4月、推薦)当選[5]
- 第25回衆議院議員総選挙(京都府第1区、1952年10月、自由党)落選[7]
- 第26回衆議院議員総選挙(京都府第1区、1953年4月、鳩山自由党)落選[7]
著作
[編集]親族
[編集]- 妻 今尾津屋子(養父の娘)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』77頁、『京都大事典』62頁では京都府出身。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
- 『京都大事典』淡交社、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。