今岡賀雄
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今岡 賀雄(いまおか よしお、1900年(明治33年)6月[1] - 1944年(昭和19年)3月14日[2])は、昭和時代前期の電気工学者、通信技術者、実業家。
経歴・人物
[編集]東京府士族・今岡純一郎の長男として生まれる[1]。1924年(大正13年)東京帝国大学物理学科を卒業後、東京電気株式会社(のちの東京芝浦電気株式会社→東芝)に入社、1935年(昭和10年)製造部長、取締役、技師長を歴任する[3]。1944年(昭和19年)3月14日、激務による過労により川崎駅にて事故に遭い殉職した[4]。
東京電気にて無線通信機および真空管の研究に従事し、1935年(昭和10年)に150kWの大電力放送機を完成させた[3]。ほか、「マツダランプ」の開発および製造で培った知見をもとに、無線用真空管「サイモトロン」などを開発した[3]。没後の1944年(昭和19年)11月28日、「通信機並びに通信兵器生産に関する功労顕著」として毎日通信賞の第6回通信名誉賞を受賞した[3]。
親族
[編集]- 父:今岡純一郎(1874-1934)- 大阪出身。北海道士族今岡濟の長男として生れ、1898年に東京帝国大学工科大学造船科卒業後逓信省に入り、イギリス・ドイツに留学、遞信技師、鉄道省技師、高等海員審判所審判官などを経て1916年に浦賀船渠に入社、その後同社社長を務めた[5][6]。
- 妻:今岡泰子(海軍中将・山路一善の長女。聖心女子学院出身)[1]
脚注
[編集]- ^ a b c 『人事興信録 第13版 上』、イ235頁
- ^ 東京芝浦電気(株)『東京芝浦電気株式会社八十五年史』(1963.12) 渋沢社史データベース、2019年3月11日閲覧。
- ^ a b c d 電子情報通信学会『知識の森』、14群(歴史・年表・資料)、3編 電子情報通信人名録、2019年3月11日閲覧。
- ^ 電波報國隊の記録(一工)/島田博一、2019年3月12日閲覧。
- ^ 今岡純一郞 (男性)『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 今岡 純一郎(読み)イマオカ ジュンイチロウ20世紀日本人名事典