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今村太平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いまむら たいへい
今村 太平
本名 今村 大平(いまむら たいへい)
生年月日 (1911-08-21) 1911年8月21日
没年月日 (1986-02-26) 1986年2月26日(74歳没)
出生地 日本の旗 日本 埼玉県
職業 映画評論家映画理論家
ジャンル 映画
主な作品
著作
『映画芸術の性格』
『漫画映画論』
『映画論入門』
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今村 太平(いまむら たいへい、1911年8月21日 - 1986年2月26日[1])は日本の映画評論家映像評論家

特に映画理論の分野で活躍した。本名は今村 大平(いまむら たいへい)[1]佐藤忠男は「日本には、(中略)映画理論家として一貫した仕事をして、多数の理論的著書を書いた人としては、今村太平の名をあげ得る程度であろう」と語っている[2]

人物・来歴

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父親の郷里大分県で育つ[3]。父親の病死により中学校を中退し、働きながら『キネマ旬報』などに投稿して映画評論を独学する[3]。1935年(昭和10年)に同人誌『映画集団』の創刊に参加し[1]、左翼の立場から映画のありかたを考察する。映画に原始時代の芸術の総合性の再到来を見なし、そこで漫画映画を評価する先駆的な思想を切り開く。同時に映画の記録性をも強調して記録映画を推進した。第二次世界大戦後は「映画文化」や「映像文化」の編集に携わった[1]岩崎昶との論争も有名。晩年は志賀直哉の研究をも上梓。

高畑勲監督や鈴木敏夫プロデューサーも、若い頃に今村太平に刺激されたことから、スタジオジブリは『漫画映画論』を2005年に復刻している[4]

ビブリオグラフィ(一部)

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  • 『映画芸術の形式』(大塩書林、1938年)
  • 『映画芸術の性格』(第一芸文社、1939年)
  • 『記録映画論』(第一芸文社、1940年)
  • 『映画と文化』(第一芸文社、1940年)
  • 『日本藝術と映画』(菅書店、1941年)
  • 『漫画映画論』(第一芸文社、1941年)
  • 『滿洲印象記』 (第一藝文社、1941年)
  • 『これからの映画』(田中宋栄堂、1942年)
  • 『戰争と映畫』(第一藝文社、1942年)
  • 『日本映画の本質』(新太陽社、1943年)
  • 『映画論』(和敬書店、1946年)
  • 『映画論入門』(真善美社、1948年)
  • 『漫画映画論』(真善美社、1948年)
  • 『映画芸術の形式』(温故堂出版部、1950年)
  • 『映画の本質』(社会思想研究会出版部、1952年)
  • 『映画の世界』(新評論社、1952年)
  • 『映画理論入門』(板垣書店、1952年)
  • 『イタリア映画 そのネオ・リアリズム』(早川書房、1953年)
  • 『映畫藝術論』(創元社、1953年)
  • 『映画理論入門』(社会思想社、1954年)
  • 『これからの映画 新しい見方と考え方』(理論社、1954年)
  • 『映画を心ざす人に』(社会思想研究会出版部、1955年)
  • 『現代映画論 記録性と芸術性』(平凡社、1957年)
  • 『志賀直哉との対話』(筑摩書房、1970年)
  • 『志賀直哉論』(筑摩書房、1973年)
  • 『今村太平映像評論』10巻(ゆまに書房、1991年)
  • 『映画の眼 文字から映像の文化へ』(光和堂、1992年)

参考文献

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脚注

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  1. ^ a b c d 今村太平、デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 佐藤忠男『日本映画理論史』(評論社、1977年)7頁。
  3. ^ a b 杉山平一「今村太平: 孤高独創の映像評論家」305-306頁
  4. ^ ハウルの動く城