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今泉潤太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今泉 潤太郎
人物情報
生誕 1932年????
日本の旗 日本愛知県豊橋市
出身校 愛知大学文学部文学科中国文学専攻
学問
研究分野 中国語
研究機関 愛知大学
学位 文学士
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今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は、日本中国語学者愛知県豊橋市出身。愛知大学名誉教授。現在、中日大辞典編集主幹を務めている。

経歴

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出版

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  • 『中日大辞典』初版 (中日大辞典刊行会、1968年)編集委員。
  • 『中日大辞典』増訂版 (大修館書店、1986年)編集委員長。
  • 『中日大辞典』第三版 (大修館書店、2010年)編集主幹。

トピックス

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  • 中日大辞典は、東亜同文書院において1933年ごろから編纂が始まった「華日辞典カード」十数万枚が終戦により中国側に接収され、終戦後の1954年愛知大学に返還されたのにともない、戦前東亜同文書院の中国語教員で組織されていた「華語研究部」の中心メンバーが協議の上、愛知大学にその完成を託したことから、その翌年の1955年から同大学で編纂が始まった。
  • 今泉はTBSのラジオインタビューにおいて「中国は、戦後の支配体制を社会体制へと変革させたのにともない、それまで存在していた証券市場がなくなると、「株式投資」、「大引け」などの資本主義的経済用語を中国国内の辞書から抹消し、さらには文化大革命期の言葉も辞書に掲載させなかった。このため中国の人が当時の言葉を自国の辞書で調べようとしても見つけることができなかったが、中日大辞典には資本主義的経済に関連した言葉も文化大革命期の言葉も意図的に残して記載しておいたので、中日大辞典で自国のことを知ることができた中国人が結構いたそうです。このようなわけで、自国の辞書よりも語彙が豊富な中日大辞典は、出版当初から中国の大学生の間では知名度が高く、多くの学生がそれを購入することを望んだが、たいへん高価であったため、初版も2版も海賊版が出まわり、それらで学んだ学生たちがいま大学教授や大使館高官になっているんです」と中日大辞典の功績について語っている。
  • 2010年11月15日、今泉本人が愛知大学学長らと共に中国大使館を訪れ、中日大辞典第三版113部(中国の大学数)を程永華駐日中国大使に寄贈している。

脚注

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  1. ^ 平成24年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 2 (2012年11月). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月10日閲覧。

外部リンク

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