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今津雅仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今津 雅仁(いまづ まさと、1957年2月15日 -)は日本ジャズテナーサックス奏者。神戸市出身。

経歴

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小・中学校のブラスバンドトランペット、高校時代は阪急少年音楽隊にてクラリネットを担当。

1974年.高校を中退し、17歳でテナーサックス奏者としてプロデビュー。

1980年.渡米

1981年.東京での活動開始。

「今津雅仁&サックス・アピール」を吉岡秀晃らと結成。

1987年.自主製作アルバム『The Sax Appeal "VOL.1"』制作、リリース。

1988年.2月『The Sax Appeal "VOL.2"』制作、リリース。

1988年.5月『第3集/It's Too Bright』を制作、リリース。

1989年.10月.新たに結成した「今津雅仁&FUZZ MOTION」の名義で、ファンハウスよりメジャーデビュー・アルバム『MASATO』をリリース。

1990年.1月.『MASATO』《第23回日本ジャズ大賞》を受賞する[1](新人としての受賞は史上初の快挙)。

     4月.『WHAT'S A MELODY』リリース。、

    10月.『He Said・・・』リリース。

1991年.1月.『He Said・・・』《第23回日本ジャズ大賞制作企画賞受賞》受賞。

    10月.日野元彦を迎えアルバム『Hard Times』制作、リリース。

1992年.10月.『STICKY』制作、リリース。

1995年.阪神大震災で罹災した故郷の為にボランティア・コンサートやチャリティー・ライブ等、義援金集めに奔走する。

    しかし、自身も母を亡くしたショックから強度の鬱病を発症する。

    12月.事実上の引退。

1998年.音楽関係者、ジャズ評論家、ファンの後押しで今津の復帰企画が始まり、渋谷にて「今津雅仁&FUZZ MOTION」の復帰コンサートが実現。

1999年.2月、復帰アルバム録音の直前に交通事故に遭遇。緊急入院。

     再起不能を言い渡され、入院先の栃木県那須塩原市に転居。ジャズ界を完全引退。

2000年.約1年半に渡り、リハビリ・楽器トレーニングを重ね、7月は待望の復帰アルバム『THE RETURN OF MASATO』をリリース。9月、日野皓正とのジョイントコンサートをきっかけにジャズ界へのカムバックを果たす。

2006年.11月、東京都内での演奏活動を再開し、この頃から、韓国ジャズシーンに興味を持ち始める。

2009年には韓国ソウルに単身で赴き、地元のミュージシャンたちと初のライブを敢行。韓国の一流ミュージシャン達とライブの仕事を重ねる。韓国経済雑誌「シサイン」、「東亜日報新聞」などから取材を受け、掲載される。

現在、関東を中心に九州関西北陸などで精力的に演奏活動を展開するとともに、新宿ドルチェ楽器・ドルチェ・アカデミー、その他東京都内各所にて後進の指導に全力を傾けている。

脚注

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  1. ^ 2016年7月6日、TBSの「水曜日のダウンタウン」にて「真夜中にサングラスかけてる人 スーパースターじゃないと説明つかない説」にて紹介される。

外部リンク

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