今道仙次
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今道 仙次(いまみち せんじ、1931年(昭和6年)3月28日[1] - 2014年(平成26年)3月26日[2])は、昭和から平成時代の政治家。京都府城陽市長。
経歴
[編集]京都府久世郡富野荘村(城陽町を経て、現城陽市)出身[1]。生家は農業を営む[1]。1953年(昭和28年)日本大学法学部卒業[1]。
京都府連合青年団団長を経て、1963年(昭和38年)京都府議会議員選挙に立候補し、1967年(昭和42年)から3期務めた[1]。1977年(昭和52年)から城陽市長に5選した[1]。市長在任中は、JR奈良線複線電化促進協議会会長を歴任した[1]。ほか、市政の基本方針として「国際交流の推進」を初めて掲げ、1991年(平成3年)1月の大韓民国の慶山市との姉妹都市盟約締結へ道筋を開いた[3]。
1997年(平成9年)落選した[1]。
栄典
[編集]- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 日外アソシエーツ 1999, 58頁.
- ^ 今道仙次氏死去 元城陽市長 京都新聞 2014年3月26日
- ^ “城陽市元市長・慶山市からの「名誉市民証」”. 民団新聞 (2002年10月16日). 2021年8月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。