仙波久良
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仙波久良 せんば ひさよし | |
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生年月日 | 1883年12月5日 |
出生地 |
日本 滋賀県東浅井郡湯田村 (現・滋賀県長浜市) |
没年月日 | 1975年2月28日(91歳没) |
出身校 | 私立攻玉社工学校 |
前職 | 実業家 |
現職 | 実業家 |
所属政党 | 立憲政友会 |
称号 | 勲四等 |
選挙区 | 滋賀県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1932年 - 1936年1月21日 |
大連市会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1928年 - 1932年 |
仙波 久良(せんば ひさよし、1883年12月5日[1] - 1975年2月28日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。勲等は勲四等[3]。
経歴
[編集]滋賀県東浅井郡湯田村(現・長浜市)生まれ[3]。私立攻玉社工学校で学ぶ[3]。満州に渡り、南満州鉄道(株)に入る[4]。満鉄は入社10年あまりで退社した[4]。のち満州石材工業(資)代表社員、東洋石材工業(資)専務取締役、満州日本居留民代表、同参事会員となる[2]。
1928年10月に大連市会議員に選ばれ、1932年の任期満了まで務めた[4][5]。その後、同年の第18回衆議院議員総選挙において滋賀県全県区から立憲政友会公認で立候補して当選した[6]。1936年の第19回衆議院議員総選挙で落選した[7]。1937年の第20回衆議院議員総選挙でも立候補したが落選した[8]。
その後は宮城県で、仙南交通(株)取締役、秋保電気鉄道、東洋興産各(株)社長を務め[2]、県公安委員となった[2]。1975年死去。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、16頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』346頁。
- ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回 283コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『伸びゆく大連 80コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『満蒙日本人紳士録 : 附・満蒙銀行会社要覧 昭和4年版 336コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』101頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』109頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』118頁。
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。