仙田明一
表示
仙田 明一 せんだ めいいち | |
---|---|
| |
生年月日 | 1911年9月20日 |
出生地 |
日本 愛知県扶桑村 (現:扶桑町) |
没年月日 | 2003年9月3日(91歳没) |
前職 | 陸軍軍人、陸上自衛官 |
所属政党 | 無所属 |
親族 |
長男・仙田岑夫(扶桑町議会議員) 娘婿・江戸満(扶桑町長) |
選挙区 | 丹羽郡選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1975年 - 1983年 |
第3代 扶桑町長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1963年1月28日 - 1975年1月27日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1948年10月20日 - 1950年12月18日 |
仙田 明一(せんだ めいいち、1911年〈明治44年〉9月20日 - 2003年〈平成15年〉9月3日)は、日本の政治家、陸軍軍人。第3代扶桑町長(3期)。公選第2代扶桑村長(1期)、愛知県会議員(2期)などを歴任した。
来歴
[編集]愛知県扶桑村(現:扶桑町)出身。第二次世界大戦では大日本帝国陸軍の軍人として、中国大陸と太平洋の各地を転戦した。
戦後の1948年(昭和23年)から2年間、扶桑村長に就任。自衛隊に勤務した後、扶桑町長を1963年(昭和38年)から1975年(昭和50年)まで3期12年務め、扶桑町役場庁舎建設、都市計画の策定、町全域のかんがい用水の設備など、町づくりの基礎を築き上げた[1]。
その後愛知県議会議員に転身し1975年から1983年(昭和58年)まで務めた。2003年(平成15年)9月3日、心不全のため死去[2]。
家族
[編集]- 仙田岑夫(長男) - 航空自衛隊第1術科学校副校長、三菱重工顧問[3]。扶桑町議会議員(3期)[4]。
- 小川郁子(娘) - 扶桑町議会議員(3期)[5]。2003年(平成15年)5月から、扶桑町初の女性議長を務めた[5]。
- 江戸満(娘婿) - 第9代扶桑町長(3期)[6]
役職
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『中日新聞』2003年9月5日付朝刊近郊版24頁、「死去の仙田元扶桑町長 町づくりに尽力」
- ^ 『中日新聞』2003年9月5日付朝刊県内版26頁、「仙田明一氏死去」
- ^ 『中日新聞』1991年6月4日付夕刊第2社会面12頁、「2新人が届け出 扶桑町長選告示」
- ^ 『中日新聞』2003年04月29日付朝刊22頁、「03統一選あいち 町村長と町村議会議員 尾張」
- ^ a b 『中日新聞』2003年05月17日中日新聞朝刊近郊版18頁、「初の女性議長 小川さん選出 扶桑町議会」
- ^ プロフィール - ウェイバックマシン(2015年5月9日アーカイブ分)
- ^ “愛知県隊友会の歩み”. 愛知県隊友会 (2019年4月1日). 2021年7月9日閲覧。
公職 | ||
---|---|---|
先代 北折博 |
扶桑町長 第3代:1963年 - 1975年 |
次代 亀井淳二 |