新代田駅
新代田駅 | |
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駅舎(2011年5月) | |
しんだいた Shindaita | |
◄IN05 下北沢 (0.5 km) (0.5 km) 東松原 IN07► | |
所在地 | 東京都世田谷区代田五丁目30-18 |
駅番号 | IN06 |
所属事業者 | 京王電鉄 |
所属路線 | ■井の頭線 |
キロ程 | 3.5 km(渋谷起点) |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
[京王 1]8,395人/日 -2023年- |
開業年月日 | 1933年(昭和8年)8月1日 |
新代田駅(しんだいたえき)は、東京都世田谷区代田五丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。井の頭南管区所属。駅番号はIN06。
歴史
[編集]- 1933年(昭和8年)8月1日:帝都電鉄の代田二丁目駅(だいたにちょうめえき)として開設。
- 1940年(昭和15年)5月1日:小田原急行鉄道と合併、同社帝都線の駅となる。
- 1942年(昭和17年)5月1日:小田急電鉄が東京急行電鉄と合併(大東急)、同社井の頭線の駅となる。
- 1948年(昭和23年)6月1日:東急から京王帝都電鉄が分離、同社井の頭線の駅となる。
- 1966年(昭和41年)7月21日:新代田駅(しんだいたえき)に改称。
- 1995年(平成7年)8月:駅改良工事に伴い、エスカレーター・自動改札機新設。同時に駅舎改築[1]。
- 2010年(平成22年):渋谷方ホームにエレベーター新設。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線を有する地上駅。橋上駅舎を備える。ホームは掘割内にあり、駅上に環状七号線(環七通り)が通っているため、ホームの一部は道路下にある。改札口は環状七号線の道路沿いにある。
改札口とホーム間には車椅子対応エスカレーター・エレベーターが設置されている。トイレは1番線ホームにあり、ユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」が設置されている。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 井の頭線 | 下り | 明大前・永福町・久我山・吉祥寺方面 |
2 | 上り | 下北沢・渋谷方面 |
利用状況
[編集]2023年度(令和5年度)の1日平均乗降人員は8,395人である[京王 1]。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員[* 2] |
1日平均 乗車人員[* 3] |
出典 |
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[注釈 1]1933年(昭和 8年) | 1,257 | [東京府統計 1] | |
1934年(昭和 | 9年)1,512 | [東京府統計 2] | |
1935年(昭和10年) | 1,961 | [東京府統計 3] | |
1955年(昭和30年) | 9,012 | ||
1956年(昭和31年) | 4,459 | [東京都統計 1] | |
1957年(昭和32年) | 4,675 | [東京都統計 2] | |
1958年(昭和33年) | 4,778 | [東京都統計 3] | |
1959年(昭和34年) | 4,788 | [東京都統計 4] | |
1960年(昭和35年) | 10,362 | 5,039 | [東京都統計 5] |
1961年(昭和36年) | 11,062 | 5,414 | [東京都統計 6] |
1962年(昭和37年) | 11,044 | 5,451 | [東京都統計 7] |
1963年(昭和38年) | 10,838 | 5,332 | [東京都統計 8] |
1964年(昭和39年) | 11,097 | 5,545 | [東京都統計 9] |
1965年(昭和40年) | 11,961 | 6,106 | [東京都統計 10] |
[注釈 2] 1966年(昭和41年) | 12,271 | 6,231 | [東京都統計 11] |
1967年(昭和40年) | 12,558 | 6,375 | [東京都統計 12] |
1968年(昭和43年) | 12,567 | 6,393 | [東京都統計 13] |
1969年(昭和44年) | 12,630 | 6,374 | [東京都統計 14] |
1970年(昭和45年) | 12,490 | 6,225 | [東京都統計 15] |
1971年(昭和46年) | 5,705 | [東京都統計 16] | |
1972年(昭和47年) | 11,632 | 5,551 | [東京都統計 17] |
1973年(昭和48年) | 11,447 | 5,395 | [東京都統計 18] |
1974年(昭和49年) | 11,332 | 5,507 | [東京都統計 19] |
1975年(昭和50年) | 10,189 | 5,063 | [東京都統計 20] |
1976年(昭和51年) | 10,041 | 4,863 | [東京都統計 21] |
1977年(昭和52年) | 10,087 | 4,838 | [東京都統計 22] |
1978年(昭和53年) | 9,834 | 4,726 | [東京都統計 23] |
1979年(昭和54年) | 9,305 | 4,593 | [東京都統計 24] |
1980年(昭和55年) | 8,976 | 4,373 | [東京都統計 25] |
1981年(昭和56年) | 8,449 | 4,362 | [東京都統計 26] |
1982年(昭和57年) | 8,092 | 4,181 | [東京都統計 27] |
1983年(昭和58年) | 8,629 | 4,241 | [東京都統計 28] |
1984年(昭和59年) | 13,025 | 5,447 | [東京都統計 29] |
1985年(昭和60年) | 13,589 | 5,701 | [東京都統計 30] |
1986年(昭和61年) | 14,058 | 5,849 | [東京都統計 31] |
[注釈 3] 1987年(昭和62年) | 14,376 | 5,806 | [東京都統計 32] |
1988年(昭和63年) | 11,449 | 5,723 | [東京都統計 33] |
1989年(平成元年) | 11,297 | 5,658 | [東京都統計 34] |
1990年(平成 | 2年)11,547 | 5,723 | [東京都統計 35] |
1991年(平成 | 3年)11,595 | 5,762 | [東京都統計 36] |
1992年(平成 | 4年)11,515 | 5,759 | [東京都統計 37] |
1993年(平成 | 5年)11,340 | 5,677 | [東京都統計 38] |
1994年(平成 | 6年)11,550 | 5,767 | [東京都統計 39] |
1995年(平成 | 7年)11,657 | 5,844 | [東京都統計 40] |
1996年(平成 | 8年)11,456 | 5,753 | [東京都統計 41] |
1997年(平成 | 9年)11,037 | 5,570 | [東京都統計 42] |
1998年(平成10年) | 9,933 | 5,252 | [東京都統計 43] |
1999年(平成11年) | 9,159 | 4,566 | [東京都統計 44] |
2000年(平成12年) | 9,147 | 4,567 | [東京都統計 45] |
2001年(平成13年) | 9,010 | 4,479 | [東京都統計 46] |
2002年(平成14年) | 8,850 | 4,408 | [東京都統計 47] |
2003年(平成15年) | 8,817 | 4,388 | [東京都統計 48] |
2004年(平成16年) | 8,533 | 4,249 | [東京都統計 49] |
2005年(平成17年) | 8,551 | 4,285 | [東京都統計 50] |
2006年(平成18年) | 8,501 | 4,285 | [東京都統計 51] |
2007年(平成19年) | 8,360 | 4,290 | [東京都統計 52] |
2008年(平成20年) | 8,556 | 4,389 | [東京都統計 53] |
2009年(平成21年) | 8,526 | 4,373 | [東京都統計 54] |
2010年(平成22年) | 8,317 | 4,268 | [東京都統計 55] |
2011年(平成23年) | 8,288 | 4,260 | [東京都統計 56] |
2012年(平成24年) | 8,507 | 4,373 | [東京都統計 57] |
2013年(平成25年) | 8,859 | 4,559 | [東京都統計 58] |
2014年(平成26年) | 9,255 | 4,742 | [東京都統計 59] |
2015年(平成27年) | 9,589 | 4,899 | [東京都統計 60] |
2016年(平成28年) | 9,849 | 5,027 | [東京都統計 61] |
2017年(平成29年) | 9,835 | 5,011 | [東京都統計 62] |
2018年(平成30年) | 9,814 | 4,997 | [東京都統計 63] |
2019年(令和元年) | 9,619 | 4,885 | [東京都統計 64] |
2020年(令和 | 2年)6,537 | 3,340 | [東京都統計 65] |
2021年(令和 | 3年)[京王 2]7,316 | ||
2022年(令和 | 4年)[京王 3]7,885 | ||
2023年(令和 | 5年)[京王 1]8,395 |
駅周辺
[編集]バス路線
[編集]環七通り上に新代田駅前停留所が設置されている。駅北側に「代田操車場」があり、バス折返しに使用される。以下の2路線はかつて宿91系統として直通しており、都営・東急共に共同運行協定を結んでいた。都営の折り返し系統は、宿73系統という別系統であった。
その他
[編集]当駅 - 小田急小田原線世田谷代田駅間には、東京急行電鉄(大東急)時代の戦争中 - 戦後にかけて連絡線(代田連絡線)が引かれていた。これは、空襲に伴い井の頭線電車が殆ど焼失したため、小田急線から電車を運び込むために急遽用意されたものである。連絡線撤去後もしばらくの間、当駅の下北沢駅寄りにあった分岐点付近に渡り線が放置されていた。その後は周辺の宅地造成が進み、廃線跡は残っていない。2000年代に世田谷代田駅付近にわずかに残っていた痕跡も、小田急線の複々線化工事に伴い消滅した[2]。
長渕剛の楽曲「東京青春朝焼物語」(アルバム『JAPAN』収録)の最初の歌詞の部分で、当駅のことが歌われている(井の頭線で5つ目の駅とある)。長渕はデビューし上京して間も無い頃、当駅近くのアパートで暮らしていた。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 京王電鉄の1日平均利用客数
- 京王電鉄の統計データ
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- ^ 昭和31年 (PDF)
- ^ 昭和32年 (PDF)
- ^ 昭和33年 (PDF)
- ^ 昭和34年
- ^ 昭和35年
- ^ 昭和36年
- ^ 昭和37年
- ^ 昭和38年
- ^ 昭和39年
- ^ 昭和40年
- ^ 昭和41年
- ^ 昭和42年
- ^ 昭和43年
- ^ 昭和44年
- ^ 昭和45年
- ^ 昭和46年
- ^ 昭和47年
- ^ 昭和48年
- ^ 昭和49年
- ^ 昭和50年
- ^ 昭和51年
- ^ 昭和52年
- ^ 昭和53年
- ^ 昭和54年
- ^ 昭和55年
- ^ 昭和56年
- ^ 昭和57年
- ^ 昭和58年
- ^ 昭和59年
- ^ 昭和60年
- ^ 昭和61年
- ^ 昭和62年
- ^ 昭和63年
- ^ 平成元年
- ^ 平成2年
- ^ 平成3年
- ^ 平成4年
- ^ 平成5年
- ^ 平成6年
- ^ 平成7年
- ^ 平成8年
- ^ 平成9年
- ^ 平成10年 (PDF)
- ^ 平成11年 (PDF)
- ^ 平成12年
- ^ 平成13年
- ^ 平成14年
- ^ 平成15年
- ^ 平成16年
- ^ 平成17年
- ^ 平成18年
- ^ 平成19年
- ^ 平成20年
- ^ 平成21年
- ^ 平成22年
- ^ 平成23年
- ^ 平成24年
- ^ 平成25年
- ^ 平成26年
- ^ 平成27年
- ^ 平成28年
- ^ 平成29年
- ^ 平成30年
- ^ 平成31年・令和元年
- ^ 令和2年