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仲井間宗一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仲井間 宗一
なかいま そういち
仲井間宗一
生年月日 (1891-03-13) 1891年3月13日
出生地 沖縄県国頭郡名護間切名護
没年月日 (1965-12-02) 1965年12月2日(74歳没)
出身校 日本大学専門部法律科
所属政党 立憲民政党
日本進歩党
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仲井間 宗一(なかいま そういち、1891年明治24年)3月13日 - 1965年昭和40年)12月2日[1])は、沖縄県出身の日本弁護士政治家衆議院議員

経歴

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名護間切名護(現名護市)で、仲井間宗宣の長男として生まれる[1][2]1911年沖縄県立第一中学校5年に在学中に上京[1][注 1]。苦学して日本大学専門部法律科に入学[1][3][4]1922年弁護士試験に合格[1][3]

1923年に帰郷して那覇に弁護士事務所を開業した[1][3]。その後、那覇弁護士会会長に就任[1][3][4]

1930年2月の第17回衆議院議員総選挙で沖縄県選挙区から立憲民政党所属で出馬して当選[1][4]。その後、第19回 から第21回総選挙まで連続三回の当選を果たし、衆議院議員を通算四期務めた[1][4]。この間、米内内閣文部参与官大政翼賛会東亜局庶務部副部長、大日本興亜同盟運動第一局第二部長などを務めた[1][4]

戦後、公職追放を経て[5]、その後は琉球政府中央教育委員会委員長、琉球上訴裁判所首席判事などを歴任[1]1957年の那覇市長選に出馬したが、保守側の分裂で瀬長亀次郎に敗れた[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『沖縄県人事録』251頁では、1910年県立第一中学校4年を修了して上京。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『沖縄大百科事典』下巻、5頁。
  2. ^ 『人事興信録』第13版 上、ナ125頁。
  3. ^ a b c d 『沖縄県人事録』251頁。
  4. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』461頁。
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』下巻、沖縄タイムス社、1983年。
  • 沖縄朝日新聞社編『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社、1937年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 下、1941年。