任毓麟
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任毓麟 | |
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プロフィール | |
出生: | 1870年(清同治9年) |
死去: | 不詳 |
出身地: | 清浙江省紹興府紹興県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 任毓麟 |
簡体字: | 任毓麟 |
拼音: | Rén Yùlín |
ラテン字: | Jen Yü-lin |
和名表記: | じん いくりん |
発音転記: | レン ユーリン |
任 毓麟(じん いくりん)は、清末・中華民国の政治家。字は振亭。
事績
[編集]清末に挙人となり、直隷省候補道、直隷総督衙門総文案を歴任した。1913年(民国元年)、奉天都督府文案となり、翌1914年(民国3年)6月から10月まで奉天省政務庁庁長を務めている。その後、煙酒事務局秘書、東三省巡閲使秘書長を歴任した。1926年(民国15年)12月、安国軍総司令部秘書長として起用され、翌1927年(民国16年)6月には張作霖により陸海軍大元帥府秘書長に就任した[1][2]。張死後の任毓麟の行方は不詳となっている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主 編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか 編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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