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任毓麟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
任毓麟
プロフィール
出生: 1870年同治9年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 浙江省紹興府紹興県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 任毓麟
簡体字 任毓麟
拼音 Rén Yùlín
ラテン字 Jen Yü-lin
和名表記: じん いくりん
発音転記: レン ユーリン
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任 毓麟(じん いくりん)は、末・中華民国の政治家。振亭

事績

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清末に挙人となり、直隷省候補道、直隷総督衙門総文案を歴任した。1913年民国元年)、奉天都督府文案となり、翌1914年(民国3年)6月から10月まで奉天省政務庁庁長を務めている。その後、煙酒事務局秘書、東三省巡閲使秘書長を歴任した。1926年(民国15年)12月、安国軍総司令部秘書長として起用され、翌1927年(民国16年)6月には張作霖により陸海軍大元帥府秘書長に就任した[1][2]。張死後の任毓麟の行方は不詳となっている。

脚注

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  1. ^ 徐主編(2007)、383頁。
  2. ^ 劉ほか編(1995)、17頁。

参考文献

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  • 徐友春主 編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか 編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
梁鴻志
(臨時執政府秘書長)
陸海軍大元帥府秘書長
1927年6月 - 1928年6月?
次代
(廃止)