伊住禮次朗
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人物情報 | |
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全名 |
伊住 禮次朗 (いずみ れいじろう) |
別名 | 伊住宗禮(茶人として) |
生誕 |
1989年1月19日(35歳) 日本・京都府京都市 |
出身校 |
同志社香里中学校・高等学校 同志社大学商学部 京都造形芸術大学大学院芸術研究科 |
両親 |
伊住政和(父) 伊住弘美(母) |
学問 | |
研究分野 | 茶道文化 |
研究機関 | 茶道総合資料館 |
博士課程指導教員 | 中村利則 |
学位 | 博士(学術) |
特筆すべき概念 | 裏千家 |
公式サイト | |
茶道総合資料館 |
伊住 禮次朗(いずみ れいじろう、1989年〈平成元年〉1月19日[1] - )は、日本の茶人、日本文化研究者(博士(学術))。茶道総合資料館副館長。今日庵文庫長。茶名は、伊住宗禮。
来歴
[編集]1989年(平成元年)、茶道裏千家の分家である伊住家の伊住政和・弘美夫妻の次男として、京都府京都市に生まれる。2003年(平成15年)2月に父・政和を亡くしてからは、兄・公一朗と共に祖父・千玄室と伯父・千宗室(裏千家第16代家元)の元で茶道に精進した。
京都造形芸術大学博士後期課程にて中村利則に師事し、2018年(平成30年)3月に博士(学術)を取得[2]。
さかい利晶の杜開館学芸員を経て、茶道総合資料館副館長、今日庵文庫長に就任。
茶人としては、2022年(令和4年)12月13日、今日庵 利休御祖堂において、茶名親授式が行われ、伯父で第16代家元・千宗室より茶名「宗禮」を授与された[3]。
家族・親族
[編集]父は、茶道裏千家第15代家元の千玄室・登三子夫妻の次男である伊住宗晃(政和)。兄は、茶人で淡交社代表取締役社長を務める伊住公一朗。父方の祖父に千玄室、伯父に茶道裏千家第16代家元の千宗室、伯母に元皇族の千容子(三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子・容子内親王)。また、従姉兄弟には、chori名義で詩人として活動した菊地明史(2014年(平成26年)12月に独立、2024年(令和6年)8月20日死去[4][5])、葵祭・第54代斎王代を務めた阪田万紀子[6]および茶道裏千家・若宗匠の千宗史(千敬史)[7][8]らがいる。
著作
[編集]博士論文
[編集]- 伊住禮次朗『近世初期の京釜研究:辻与次郎を中心に(要約)』 京都造形芸術大学〈博士 甲第57号〉、2018年 。
共編
[編集]- 『利休のかたち - 好み道具と「利休形」-』(三笠景子と共著。淡交社、2020年)
脚注
[編集]- ^ https://www1.doshisha.ac.jp/~knaganum/zemi3rd/rer-jiro-no.htm
- ^ 博士論文.
- ^ “伊住禮次朗様 茶名「宗禮」を拝受”. 裏千家ホームページ 茶の湯に出会う、日本に出会う (2022年12月16日). 2023年1月22日閲覧。
- ^ “詩人のchoriさんが死去 39歳 肺炎による急性呼吸不全で”. ORICON NEWS (2024年8月24日). 2024年9月22日閲覧。
- ^ “菊地明史氏急逝のお知らせ”. 裏千家ホームページ 茶の湯に出会う、日本に出会う (2024年8月24日). 2024年9月22日閲覧。
- ^ “千 万紀子様、第54代斎王代に”. 裏千家ホームページ 宗家だより (2009年4月13日). 2022年12月5日閲覧。
- ^ “裏千家若宗匠に家元次男・敬史さん 次期家元の格式、来年10月継承”. 47NEWS (2019年12月3日). 2021年12月19日閲覧。
- ^ “裏千家 若宗匠格式宣誓式”. 裏千家ホームページ 宗家だより (2020年10月8日). 2022年12月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- 裏千家ホームページ 茶の湯に出会う、日本に出会う - 裏千家公式サイト
- 茶道総合資料館