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伊原直子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊原 直子
生誕 (1945-02-14) 1945年2月14日(79歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 東京藝術大学
ミュンヘン国立音楽大学
ジャンル クラシック音楽
職業 声楽家メゾソプラノアルト
オペラ歌手
音楽教育者

伊原 直子(いはら なおこ、1945年(昭和20年)2月14日[1] - )は、日本の声楽家メゾソプラノまたはアルト)、オペラ歌手、音楽教育者東京藝術大学名誉教授。

経歴

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東京都出身[2]。1967年(昭和42年)東京藝術大学音楽学部卒業。1969年(昭和44年)同大学院修了[2]戸田敏子中山悌一に師事。大学院在学中の1969年(昭和44年)1月二期会ワーグナーラインの黄金』エルダでオペラデビュー。

1971年(昭和46年) - 1945年(昭和50年)西ドイツ政府給費留学生(DAAD)としてミュンヘン国立音楽大学に留学[2]し、エルンスト・ヘフリガーに師事。傍らベルリン歌劇場他、ドイツやスイス各地でオラトリオを歌う[3]。続いてビゼーカルメン』のタイトルロールで好評を博す。NHK交響楽団はじめ主要オーケストラと共演し高い評価を得る。

1975年(昭和50年) - 1980年(昭和55年)フランスのラインオペラ(ストラスブール歌劇場:Opera du Rhin)と専属契約を結び、『カルメン』、グルックオルフェオとエウリディーチェ』、ワーグナー『ジークフリート』等に出演。ザルツブルクルクセンブルク、ヘルブルン音楽祭、西ドイツにてムソルグスキーボリス・ゴドゥノフ』『カルメン』に出演し、コンサートではマーラー交響曲第2番『復活』、バッハマタイ受難曲』等、数多く歌う。

1980年(昭和55年)二期会オペラ公演『カルメン』のタイトルロールを演じ、『カルメン』歌い手の第一人者として評価を固めた。その後も、ヴェルディイル・トロヴァトーレ』(アルベルト・エレーデ指揮)のアズチェーナ役を演唱、好評を得る[3]。その後もフランス、ベルギー等で活躍し、1981年(昭和56年)に帰国。 その後、日本を代表するメゾソプラノ・アルト歌手として、ヴェルディ『アイーダ』、ドビュッシーペレアスとメリザンド』、ワーグナー『ワルキューレ』等に出演。

1989年(平成元年)ボストン交響楽団ボストン香港、日本で『復活』のソリストを務めた。

1990年(平成2年)2月の二期会創立40周年記念公演プッチーニ蝶々夫人』のスズキで好評を博し、7月にはサヴォリンナ・オペラフェスティバル(フィンランド)に参加し同公演に出演。

1991年(平成3年)2月のヴェルディ『リゴレット』、7月にはワーグナー『神々の黄昏』を歌い、殊に後者への出演で22年の年月をもって完結した二期会の〈リング〉四部作全部に出演した唯一の歌い手となった。コンサートへの出演も精力的で、とりわけマーラーのスペシャリストとして、主要オーケストラとの共演も多数に及ぶ[3]

コンセール・マロニエ審査員、財団法人二期会オペラ振興会理事、財団法人東京二期会理事、全日本音楽コンクール審査員、文部科学省大学設置審議会委員(音楽)、大曲新人コンクール審査員、日本演奏連盟理事、A.B.C新人オーディション審査員、静岡国際オペラコンクール審査員、東京国際コンクール審査員など、要職を歴任[4]

2012年(平成24年)3月19日に退任コンサートが開催された[5]。門下生も非常に数多い。

2020年(令和2年)7月31日現在、瀧廉太郎コンクール審査員、東京二期会オペラ幹事、日本声楽家協会理事、東京藝術大学教育研究評議員、モーツァルトコンクール審査員、日生劇場オーディション審査員、宮日コンクール審査員、シュガーホール新人コンクール審査員、飯塚新人音楽コンクール審査員、公益社団法人日本演奏連盟常任理事、びわ湖ホールアンサンブル審査員[4]。東京藝術大学名誉教授聖徳大学音楽学部客員教授[3][4]

主な受賞歴

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主なディスコグラフィー

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脚注・出典

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  1. ^ 伊原直子”. ザテレビジョン. 2020年3月22日閲覧。
  2. ^ a b c 伊原直子”. 日本人オペラ名鑑. 2020年3月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 伊原直子”. 学校法人東京聖徳学園. 2020年3月22日閲覧。
  4. ^ a b c 教員研究紹介”. 学校法人東京聖徳学園. 2020年11月15日閲覧。
  5. ^ 藝大ミュージックアーカイブ”. 東京藝術大学. 2020年3月22日閲覧。
  6. ^ 令和二年度文化庁長官表彰名簿