伊原義徳
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった[1]。
来歴
[編集]兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。
1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
その後財団法人国際科学技術博覧会協会事務総長、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理、財団法人高輝度光科学研究センター (SPring-8) 理事長などを歴任。2002年(平成14年)に勲一等瑞宝章受章[2]。
(浜松ホトニクスが設立した)光科学技術研究振興財団理事、財団法人熊谷科学技術振興財団理事、財団法人つくば科学万博記念財団評議員、社団法人科学技術国際交流センター評議員。
ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈は旧制三高時代の同級生。盛田昭夫の実弟で元ソニー副社長(現日本テニス協会名誉会長)の盛田正明は東京工業大学バレーボール部時代の後輩。ロンドン日本国大使館では現衆議院議員の伊吹文明と同僚。また、第93警視総監の沖田芳樹は甥。
著書
[編集]『原子力』(経済往来社、1960年)、『安全から安心への原子力―事実を知り動燃の失敗に学ぼう』(日本電気協会新聞部、1998年)、他
脚註
[編集]- ^ a b 伊原義徳さん 93歳=元科学技術事務次官、元日本原子力研究所理事長毎日新聞 2017年7月29日
- ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
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