伊東長禎
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政6年7月15日(1794年8月10日)[1] |
死没 | 文政13年5月30日(1830年7月20日) |
改名 | 運之助(幼名)、長祥(初名)、長禎 |
別名 | 内膳(通称) |
藩 | 備中岡田藩世嗣 |
氏族 | 伊東氏 |
父母 | 伊東長寛 |
兄弟 |
長貴、長禎、天野富之、長之、長道、 長生、長世、高明ら |
妻 |
水野範明娘・錦 梅 |
子 | 長裕 |
伊東 長禎(いとう ながさだ)は、江戸時代後期の備中国岡田藩の世嗣。通称は内膳。
略歴
[編集]8代藩主・伊東長寛の五男として誕生。幼名は運之助。初名は長祥。正室は水野範明の娘・錦。
文化元年(1804年)1月23日、父・長寛の嫡子となる。家督相続前の文政13年(1830年)に37歳で死去した。
代わって嫡子となった弟・長之は廃嫡され、長禎の長男・長裕が家督を継いだ。
脚注
[編集]- ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.334