伊藤家住宅茶席水鶏庵
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伊藤家住宅茶席水鶏庵 | |
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情報 | |
構造形式 | 木造、銅板葺[1] |
建築面積 | 24 m² [1] |
階数 | 平屋建[1] |
竣工 |
1868年(明治元年) 1948年(昭和23年)移築[1] |
所在地 |
〒496-0038 愛知県津島市橘町4-85 |
座標 | 北緯35度10分21.0秒 東経136度43分56.8秒 / 北緯35.172500度 東経136.732444度座標: 北緯35度10分21.0秒 東経136度43分56.8秒 / 北緯35.172500度 東経136.732444度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2009年4月28日 |
伊藤家住宅茶席水鶏庵(いとうけじゅうたく ちゃせきくいなあん)は、愛知県津島市橘町4-85にある茶室。茶席と腰掛待合が登録有形文化財[1][2]。
歴史
[編集]茶室の竣工
[編集]尾張国海部郡弥富村松名(現・愛知県弥富市)の地主である佐野治右衛門は、新田開発や酒造業で財を成した[3]。1868年(明治元年)、佐野治右衛門は吉田紹和宗匠を招いて水鶏庵という茶室を建てた[4]。
名称は松尾芭蕉の句「水鶏啼くと人のいへばや佐屋泊り」に由来するとされる[4]。1882年(明治15年)には歌人の阪正臣が訪れて賞賛した[3]。1913年(大正2年)夏には入江為守の絵に西園寺公望が水鶏庵の文字を揮毫した[3]。
津島市への移築
[編集]1901年(明治34年)に海部郡佐織町に生まれた伊藤新左衛門は、1935年(昭和10年)2月に伊藤新毛織物工場を設立した[5]。戦後の1948年(昭和23年)、弥富町の水鶏庵が津島市橘町の伊藤家庭園に移築された[4]。伊藤新左衛門は津島市教育委員長も務めている[6]。
2009年(平成21年)4月28日、伊藤家住宅の座敷機石荘、茶席水鶏庵、茶席妙喜庵、腰掛待合、正門及び築地塀、中門及び袖塀の6件が登録有形文化財に登録された[7][8]。敷地内では、紅茶やケーキを提供するカフェ、うどんやそばを提供する料理店が営業していた[9]。
その後、座敷機石荘や茶席妙喜庵などは解体され、2016年(平成28年)9月14日、座敷機石荘、茶席妙喜庵、正門及び築地塀、中門及び袖塀の4件の登録が抹消された[10]。
登録有形文化財
[編集]現存する建造物
[編集]- 茶席水鶏庵(くいなあん)
- 腰掛待合
解体された建造物
[編集]- 座敷機石荘(きせきそう)
- 茶席妙喜庵(みょうきあん)
- 正門及び築地塀
- 中門及び袖塀
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 伊藤家住宅茶席水鶏庵 文化遺産オンライン
- ^ a b c d e f g 伊藤家住宅腰掛待合 文化遺産オンライン
- ^ a b c 『佐屋町史 史料編 3 本編』佐屋町史編纂委員会、1983年、p.352
- ^ a b c d 伊藤家住宅茶席水鶏庵 津島市の歴史・文化遺産
- ^ 『全国工場通覧 昭和14年版』日刊工業新聞社、1939年、p.251
- ^ 愛知県教育委員会『教育愛知』愛知県教育振興会、135号、1964年
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 愛知県文化財年報 5 2009年度 愛知県教育委員会、2010年
- ^ 「後世に残そう棚橋家住宅 国登録有形文化財 県内から追加7件」『中日新聞』2009年3月20日
- ^ 『名鉄Wind』名古屋鉄道、2010年7月号
- ^ a b c d e 解体等による登録抹消 文化庁
外部リンク
[編集]- 伊藤家住宅茶席水鶏庵 文化遺産オンライン
- 伊藤家住宅腰掛待合 文化遺産オンライン